勉学に励みたいから、しばらく更新をお休みしてみるぜ。愚痴溜めに日記とか書くかもしれないので、僕に萌えている方はチェキしてください。ただし僕も萌えます。さて今日は長文だよ。
そこで、個人ニュースサイトの定義を調べてみようと思い、個人ニュースサイト 定義でググってみたら、自分のサイトが一番上に出てきて苦笑したよ、僕が知りたいんだからっ。ちなみに、二番目はまなめはうすさんでした、ははは、なんかよくわかんないけど面白いや。──という余談。あぇ、今日みたら変わってた。な、なんで落ちてるの_| ̄|○ ──という余談。
さて、まずはニュースの定義について考えます。SimpleのYasさんはニュースとは、人をおしゃべりに駆り立てる何かであると述べていらっしゃいます。また、以前僕も引用させていていただきましたが、Webの世界では、正しい情報よりも面白い情報が流通しやすいとも述べていらっしゃいます。
そして、僕も引用の文章で、ウェブ(特に、個人ニュースサイト界隈)には「流れ」がある。本来「流れ」とは、ネタをネタとして楽しむ雰囲気である。もし、その「流れ」が見境なく発生すると、ネットそのものがネタになるという素敵な世界が待っている
と、少し(?)大げさな結論を出しました。このように、個人ニュースサイトで(特に)流行る「ニュース」というものは、情報の真偽という規範とはまた違った捉えられ方をしていると思います。つまり、面白いものが「ニュース」です。
マスメディアにおいては、事実を情報という形で報道されたものがニュースだといえます。その点では、ニュースの前提は事実であるともいえます。しかし、ウェブにおいては事実云々よりも面白さが、その情報が流行る要因だと思われます。これは一つの楽しみ方であり、僕はこれを否定するつもりはありません。──というのが僕も引用(個人ニュースサイトが生み出す「流れ」と情報リテラシー)で言ったようなことです。
ほとんどの個人ニュースサイトさんは、主に「自分が気に入った情報」を提供しているはずです。たとえば、最王手のカトゆーさんも、自分の興味のある事を割りと節操なく取り合えずガシガシ拾っていく
というのが基本的なスタイルとなっています。従って、サイト紹介であれネタであれ、個人ニュースサイトにおける「ニュース」は、かなり自由に捉えられているのではないでしょうか。
ここでは、「気に入った情報」という「ニュース」を提供するのが「個人ニュースサイト」だと述べました。それではWeblogについてはどうでしょう。「気に入った情報」という「ニュース」を提供することは、Weblogについても同様です。実際に、日本にWeblogが伝わって間もないころ、個人ニュースサイトとの境界は曖昧だったと思います。たとえば、インターネットのあり方を変える? 個人ニュースサイト“blog”を運営する人たち(ASCII24)という記事においては、個人ニュースサイトとWeblogがほぼ同義で捉えられているようです。また、広義的に「日記サイト」「個人ニュースサイト」「テキストサイト」などの総称としてブログと呼ばれることもあります(ありました、かな)。
それでは、個人ニュースサイトとブログの違いはどこにあるか。まず、〈ブログツールを使っているかどうか〉という点が考えられます。しかし、ブログツールを使っている個人ニュースサイトも多くあるため、サイト形式の違いから判断することは難しいです。従って、ここでは情報の質的な違いに注目します。
図解ブログって何ですか?(Doku*Pnoko)という文章において、情報の流れを三段階で示されています。ブログは「NEWSソース」「個人ニュース」「ユーザ」の三つの要素を総合していることが特徴とのことです。一方、個人ニュースサイトは「個人ニュース」が主、つまり「情報の経由地点」とのことです。詳しくはリンク先をご覧ください。
よって、ブログは自らが生み出す情報、いわゆる一次的な情報が主であるといえます。しかし、そもそもブログは記事リンクへの言及が重視されているので、ゼロの状態から情報を生み出せるブログはそう多くありません(あるいは、ただの日記になってしまう)。一方で、コメントによる言及を重視した個人ニュースサイトもあるため、やはりその境界は曖昧です(うわっ、振りだしに戻った……)。
たとえば、えごせか。さんは閲覧者と情報の共有と共に意見の交換をしたい
という思いを元に、果敢にコメントを付けられています。また、小生にうずさんはうちみたいに「シュッとしていないサイト」は特徴を出すために、いっぱい感想を書いて「いっぱい感想を書いているサイト」として活路を見出さなきゃならないわけ
とのことで、いっぱい感想を書いているサイトです。
というわけで、さっそく小生にうずさんの感想から引用します。サイトのコンセプトとニュースサイト考察(Orbium)への言及において、香陸さんは最近はニュースと雑記(日記など言い方はさまざま)を同じ枠のなかで書かれるサイトさんが増えてきたように思います。それは構造としての融合があるように、発想としての融合も起きているのではと述べていらっしゃいます。
「構造としての融合」とは、Orbiumさんのように、技術的に「日記型」としても「羅列型」としてもサイトを作ることでしょう。さらに、そこからトラックバックなどのつながりが生まれてきます。としさんの言葉を借りると、個人ニュースサイトにおいてブログ形式を用いることでエントリ間のコミュニケーションを破綻
を避け、高次のネットワークを形成
できることが「構造としての融合」の意義だと思います。
では、なぜ「構造としての融合」が必要なのか。それはIntermezzoさんで指摘されたとおり、個人ニュースサイトは洗練されすぎて、「いかに質のよい情報を速く大量に流すか」というところに帰着していることが原因であると思います。弾幕シューティングのように、一般人がこれを楽しむにはちょっと大変
とは、言い得て妙ですね(「言い得て妙」ってどういう意味だろう?)。
「洗練」されすぎた羅列型個人ニュースサイトは、情報の質のみが重視されます。「質」は、情報の量や鮮度、網羅性や専門性によるもので、それらを得るには多くの時間が不可欠です。それでは個人ニュースサイトの「個性」が「時間」と直結してしまいます(極端な話、廃人が個性です)。その中で、いかに時間以外の要素から自分のサイトの特質を見出すか──この追及から「融合」という発想が生まれてくるのだと思います。
そして、この融合を果すためのもう一つの視点が、「発想としての融合」です。これまた香陸さんの言葉なのですが、本当はもっと喋れるけれども、喋るとニュースサイトらしさや記事数が減ってしまうという葛藤
を打ち破ることが「発想としての融合」だと僕は思います。
「洗練」された情報を開放することに意義を見出す中の人もいれば、情報の海からピョコンと顔を出して自己主張したい中の人もいます。それらは決して優劣を付けられるものではなく、中の人が持つそれぞれの思いです。その思いをそれぞれの手段で表現できることが「発想としての融合」の意義だと思います。
たとえば、Engels zimmerさんはニュースを紹介することで自己表現につなげるというスタイルをとっていらっしゃいます。以前僕も言及したとおり、ニュースという情報を、自分の意見を表す「きっかけ」として捉えることもできます(現にこの文章も、ぷらすめもっとさんに書かれた素朴な疑問が発端となっています)。このときの「ニュース」は「洗練」された情報とは対照的で、また別の面白さがあります。このように、「中の人」が一歩前に出ることで、個人ニュースサイトの新しい一面も見えてくるのではないでしょうか。
改めて話を戻すと、以上のように個人ニュースサイトやブログにおける「ニュース」という情報には、様々な捉え方があります。「質」を追求した「洗練」された情報であったり、自分(読み手や中の人)の心から何かを生み出すための「きっかけ」としての情報でもあります。さらに、そこから中の人が新たな情報を生み出すこともあります。
ときにはそれ自体までも「ニュース」となってウェブを駆け巡ります。その媒体が「洗練」されているものなら、その「ニュース」は爆発的に展開され、あるいはその媒体が「中の人」らしさに満ちているものなら、その「ニュース」にさまざまな意見が付加されていきます。
「ニュース」という言葉の枠にとらわれる必要はありません。あなたがニュースだと思えばそれはニュースだし、他に人からニュースだと思われてもそれはニュースです。あなたが素直に望むことを配信、表現してください。それがウェブを元気にする素です。ついでに僕も元気になります、あぇ、どうでもいいや、はは。
以下は最近僕が感じたことを書き記してみます。これも一つの融合といえるかもしれません。最近僕は、〈構造化された情報〉に質の高さを感じることがよくあります。たとえば、「○○特集」や「今日は○○ネタ大放出〜」の類です。あるいは、「再掲」もこれに含まれることもあります。
ブログ(ツール)の特徴として「一つのエントリにつき一つのトピック」というコンテンツ形式があります。ブログの導入を考える「羅列型」ニュースサイトは、この慣習との整合に悩まされることもあるようです。しかし、羅列された情報でもそれをひとかたまりとして、すなわち1トピックとして捉えることもできます。その情報は、上で挙げたような〈構造化〉された情報です。
たとえば、やきもろこしさんは羅列型ニュースサイトだといえると思うのですが、毎回の更新にテーマを設けられていて、単なる羅列とは違った価値があります(これが昨日言った「びしびしチェキ」の理由です、うひひ)。In & out of my lifeさんはブログサイトだと思います(?)が、ネタの羅列も多くみられます。しかし、これも単なる羅列ではなく、risaさんなりの切り口とコメントが添えられた、つまり〈構造化〉された情報です。駄文にゅうすさんは更新頻度は低いながら、一回一回の更新にまとまりがあって、読んでいて面白いです。一つの記事を読むと、もうひとつの見出しにも目が行って、そのままそのカテゴリの見出しをすべてクリックしていることもあります。これは情報が〈構造化〉されたことにより新たな価値が生まれたからだと思います。
とはいっても、情報に一貫性やテーマを与えて〈構造化〉するには、少なからず思考や作業を要します。毎日更新を続ける羅列型ニュースサイトにとって、これはそう簡単にできることではありません。
〈構造化〉の一つの手段として、ニュースの再掲を利用することができます。時間に埋もれた情報に息吹を吹きこむことも再掲の一つの意義ですが、同時に、再掲はニュースを集める手が省けるぶん、それらをいかに〈構造化〉するかということにも比重をおけます。(とはいっても、いずれにしろ大変な作業かもしれませんが……)
僕の個人Webサイト文化研究特集も、そのときググって見つけたページもありますが、過去ログからも多くのページを再掲しています。他にも、先日まなめはうすさんでエンジニア向け過去ニュースまとめが組まれました。分野を絞って〈構造化〉された情報は、その分野における人にとっては特別な価値があるはずです。あるいは、僕の個人サイト特集に、多くの個人サイト中の人が着目してくれたように。
どんな個人ニュースサイトにも、そこには何かしらの関心が表れていると思います(たとえ「洗練」されていても)。そこで積み重なっていく情報を、たまに再掲特集という形で〈構造化〉してみるのも面白いのではないでしょうか。それは単なる情報のカタマリではありません。ある情報とそれに関連した情報は、お互いを補い合って1+1=3。にすらなるのです(このリンクは関係ないんだけどね(´∇`*) リニュええ感じでごわすよお)。
情報の〈構造化〉は人間にしかできません。コンピュータによって単語単位でのテキスト分析ができたとしても、コンピュータが(変な言葉だけど)本当の意味での「意味」を理解できる日はまだまだ先でしょう(あるいは不可能?)。
情報の価値とは何か、いかに決まるのか。普段何気なく情報に接している僕たちですが、こういった原点を振り返ってみることも大切ではないでしょうか。
うーんうーん、大変そうなのはわかるんだけど、他人事にしか思えないんだよなあ……。
未読がいくつかあるので、後日言及するかも。
「こんなこともネットでできる」のはいいけれど、「こんなこと」をやるための手段として、ネットというツールが優れているのかどうか、という評価が甘いのではないかなあ。これは一見ネガティブな意見だけど、ネットの可能性はまだまだあるよ!という証明にもなってるよね。そう憂うことなく、わくわくとネットの可能性を模索していきたいです。
たまには後悔するのもいい
いつのまにやら秘書。。。さんが更新再開していらっしゃいますねー。中の人は薄倖のひきこもり女子大生ということで、秘書たんよりも萌えキャラなんじゃないかと僕はふんでおります。取り扱う記事も僕好みのものばかりなので、これからも期待してますよっ、秘書たんと中の人さん。
やきもろこしさんから反応をいただいのですよー。巡回リストなんてよく気づきましたね。やきもろこしさんは更新形式が面白いので、最近びしびしとチェキしてたところでございます。これからもびしびしチェキします。女の子特集は素晴らしかったです。僕はスク水がよいです。2枚しかなかったけどっ!
関係ないけど、「○○かわいいよ○○」って元ネタは何ですか?あぇ、ググったら見つかったよ。
最近(今日は特にそんな感じですが)このサイトは“アクセスが減るようなこと”ばかり書いたりしていると自覚しているのですが、特に顕著な変化は見られませんのよね。みんな物好きだよね、そんなあなたのことが好きなのであるがね、うひひ、と、こういうこと言うとアクセスが減るんだよね。
今日は論理的にも意見的にもびみょーな文章だと思います。てきとぅーに読み流してください。
この下にある文章は愚痴です。なら愚痴溜めに書けよという話ですが、なぜかここに書きたいという気持ちがあります。客観的にみれば書くべきではないということは明らかなのに、なぜ僕はこんなくだらない文章を見られたいと望むのだろう──。
「DQNでいいからここに書きたい」と思うのが僕の主観で、「これは公に書くべきではない駄文だ」というのが僕の(?)客観的な考えです。後者はおそらく正解であり、僕は客観さえ重視すればDQNな振舞いはしないものと思われます。しかし、僕の「書きたい」という主観の根源は、いくら客観的に考えても答えを出せないような気がします。「わかっちゃいるけどやめられない」状態です。
〈客観的に間違っていること〉を〈客観的に正しいと証明する〉ことは不可能ではないでしょうか。これを考察するのが精神分析や心理学の世界でしょう。しかし、「彼の主観による行動を観察者が客観的に分析する」ようなことに、何か違和感を感じます。……というふうに述べましたが、(ここでこの言葉は使いづらいけど)客観的に考えれば、これはこれでアカデミックな感じがします。
ではこれはどうでしょう。「僕の主観による行動を僕自身が客観的に分析する」──まさにいまの僕の心の動向そのものです。「書きたい」という主観を「書くべきでない」という客観で歯止めをかけることはできます。いわば、客観で主観を殺すことができます。
逆にいえば、主観を殺さずに客観的な視点を持つことはできないと感じます。「おや、この主観はなんだろう」と考えた時点で、その思考は既に客観的だからです。僕が僕の主観について考えるとき、もう主観は死んでいるという糸口のない問題につままれるような気がします。
僕が感じるに、主観というものに正しいも間違いもありません。いままでいったように(たぶん変な理屈)、証明手段がないからです。便宜的に、主観に正誤をつける基準を設けるとしたら、それはすなわち客観との整合性に過ぎないと思います。
いま考えると、これはあたりまえのことかもしれません。人は客観的な世界を構築することで、正しさの判断のしようがない主観世界からの逃げ道を作っているのではないでしょうか。「正しいも間違いもない」中で生きるのは酷なものだと思います。荻野講師の言葉を借りて締めます。
所詮、客観的に判断できるように築かれた学術的規範という箱庭の中でしかぁー、いっ、生きていけない思考に過ぎないんだ。いぃかぁー? だから認められるためだってそれでいんだよ。ぉーん。ぃぃかー?
というわけで、愚痴でござーい。
風邪はべつにひどくないのですが、今回の中間テストの手応えから、ちょっとうちゅになっているので縮小更新が続きます(個人ニュースサイトとして)。僕は勉強しなかったことを後悔するような性格ではないのですが、先生からテストを手渡される瞬間というのがすごく嫌いです。もちろん、それは勉強しなかったとき、すなわち点数が悪いであろうときに限った話です。
先生によってはテスト返しのとき一言ふたことコメントをしてくれますよね。僕はそれが嫌で、「ふん、あたしゃあんたにそんなこと言われる筋合いはないねっ」と、ちびまる子ちゃんのような反発感を抱くのです。たとえコメントがないにしても、手渡す瞬間に先生が何か(僕にとっては余計なことを)考えているのではないかと、気持ちがむにょむにょしたりします。
なぜ点数が悪いのか──それは勉強しなかったからです。どうすれば良くなるか──勉強すればいいです。そんな当たり前のことを尋ねないでほしい、疑問に思わないでほしい、先生がたよ。「ここらへんがあまりできてない」といわれても、そこもかしこも勉強しておりませんわよ、わたくし。「ここをもっとやったほうがいい」といわれても、なにもやってないのだから全部やりますよ、テンスーのためにベンキョーしてるんちゃうから。
以上の気持ちは、「『勉強』と呼ばれるもの」への幼い反発心にすぎません。しかし、僕は反発なくして前進することはできません。なぜなら、僕は常に後ろ向きだから、前に進むにはひねくれるしかないのです──って何この理屈。
だから、僕は荻野ハウスを聴いて「数学やりてー」という気分になったりもします。僕にとって「勉強」呼ばれる行為は、ささやかで幼稚で愚かな自己完結にすぎない社会への反逆なのです。そして、「教育上よろしくないザマス!!」と批判されるようなことから「勉強」と呼ばれる行為に至ることが、僕の反逆心を満たす手段なのです。もちろん、僕がそんなことをしても社会が変わるわけではありません。これが「ささやかで幼稚で愚かな自己完結にすぎない」という理由で、ただのDQNなこだわりかもしれません。
(ちなみに、以上は「『勉強』とよばれるもの」における話であって、僕が自然と知りたいと思ったことを勉強(心の中で「学習」と称したり)するときには、好奇心と恐怖心に葛藤する処女のような気持ちで望みますとも)
熊という字の「能」の部分は熊の体をあらわす。下のレンガは「黒」の字を示す。だから「熊」とは「黒い熊」のことである(担任の先生が言ってたよ。ほんとかなあ)。さらに「黒い熊」は「黒い『黒い熊』」である。果て無き自己言及に陥落する、とてもとても悲しい文字。
僕を含め風邪ぎみの人が多いようなので、よーし風邪特集組んじゃうぞー、とか考えたけどあんまり体調が良くないのでやめるです。私たんがちょっぴり回復したみたいで嬉しいです。
ところで父上がブラックジャックによろしく(10)(Amazon.co.jp)を買ってきたので読みました。精神科編第二弾ということですが、なんだか医療マンガというよりメディアマンガという感じがします。僕はそっちの方が興味深いけどね。
顔が熱いから今日は更新お休みよ、というか縮小更新だわよ。風邪のおばか、とか思いながらも、顔が熱いのは実は他の要因もあるような気がするのです。すごい成長してるっ!とかきをきを、愛してるぜとか足でぐりぐりしますよぉ?とか、いろいろ言われちゃったもんね。成長しててもまだ新品未使用だから、ぐりぐりされるのはまた今度がいいなっ。
風邪ひきそうかも、ひいたかも。風邪をひくのは夜と寝ている間らしいです。なんとか細胞(抗体?)の働きが弱まるかららしいです。気合を入れるとなんとか細胞は元気になるみたいなので、萌え萌えして日々を過ごしましょう。人間の体ってうまいことできてるよね。えっちな意味でも、うわわあ。
素顔をさらせない、こういう空間での卑劣な態度に呆れた限りだ
。
うんうん、ネットというのは顔が見えないから愚劣な振る舞いをするのも簡単で、報復を受けることもないからね。常識知らずの人たちは本当に迷惑だよね。
パクリだとか書き込んだ馬鹿者に告ぐ。
。
つべこべ抜かすな
これは見事な理屈だと思います。ネットにおいても現実社会においても、「関わってもどうしようもない」人はいますね。それにどう関わればよいかというと、関わらないことです。話が通じないバカモノは相手にしない──ネットにおいてこれほど重要なことはありません。それを考慮してつべこべ抜かすな
と端的に告げるiCowmanさん(聖者さんというHNだと思ってました^^;)には、ほんと頭が上がりません。
ここは、悩みのある人が来ればいい場所だ。
。
興味本位できて荒らしたら、問答無用でぶった切る
いやあ、iCowmanさんは常連さん想いなんですね。「自分のサイトがどういうサイトなのか」という信念を貫く精神には感心します。しかし、ウェブは開かれた空間である以上、どうしても根性のかけらもないカス
はわいてくるものです。たとえば、ソーシャルネットなどを利用してみてはいかがでしょう。脛かじりでのうのうとしたバカ
に悩まされることもなくなると思います。これからiCowmanさんと常連さんたちの良き空間が築かれることを、心から期待しております。
本来、志を持ち未来を見据えた将来設計や次の世代を導くもの、また、将来に夢を託すものがいて然るべきなのに、時間をもてあそび、自己学習もせずのんべんだらりと人生を食いつぶす阿呆どもよ!
真剣に人生を考えろ!
感動しました、素晴らしいお言葉です。僕もこれからの人生を深く見据えていこうと感じました。
自分を磨け。そして、実力が通じるか試すんだ。
。
人生のmission & dutyは見えずとも君らに側にあるのだ
意味がよくわからないけど、すごく力のわく感じがする言葉ですー。
それにしても、アクセス数がすごいですねえ(´д`;)
「凄い」っていう漢字、なんだか凄く凄みがあって使いづらいよね。まあ凄いんだからあたりまえだけどね。
週替りリンクは明日更新します('A`) だ、だって「およそ」だから、「およそ」だもんっ。
昨日はテスト勉強のため更新をお休みしようと思っていたのですが、停電してなにもできなかったので寝ました。きょうは台風のため学校がお休みしました。ゆっくり疲れをとってね、学校さん。えっと、昨日の日付で更新します。
goo 辞書より。
(6)異性を悩殺する。たらす。
「糸屋の娘は目で―・す」
どきどきするよ。
理想を膨らませ、夢を抱け。高みを目指し、目的を定めろ。現実を見据え、目標を設けろ。
『ごはんの美味しい食べ方』
「やあ、久しぶり」
僕は彼に声をかける。
「僕はきみと話そうと思って実際にきみに話しかけているという状況である」
「おや、客観的だね」
「僕は客観的に考えることで膨れすぎた自我を保っているからね。主観だけで生きろと言われれば、僕の精神はパンクしてしまうよ。さらに、きみという客体も加われば、僕はもっと客観的になれるさ」
「では僕からも客観的に述べさせてもらおう。きみは『話そうと思って』と言ったが、それはきみの意思ではなく筆者の意思にすぎない。さらに『話しかけているという状況』ではなく、その状況を筆者が書き記している状況なのだよ」
こらこら、客観的すぎる。
「きみは僕と似ているようで、いつも僕とは違った観点でものをとらえるね。僕は自分を中心とした客観視をするが、きみは自己を捨てきって客観視をする」
「自己を捨てきる? それは当然だよ、だって……」
「まあまあ。とにかく、きみは僕の目が届かないところを示唆してくれる良きパートナーだよ。僕が科学方法論を語ればきみは科学史の話をする。僕が形式論理を語ればきみは修辞法の話をする。僕がスク水萌えを語ればきみは巫女萌えの話をする。本当は、僕は男だから、きみが女の子だったらもっと嬉しいんだけどね」
「はは、何を言っているんだい。きみはいつも、僕に萌え萌えじゃないか」
「うわわ、そうかなあ。うーん、なぜなら、僕は自分のことが好きだからさ」
階下から母の声が聞こえた。
「ごはんよー」
僕は、彼をそそくさと殺した。ごはんは、客観視して食べても美味しくないからだ。だから僕は彼を殺した、おっと、この理由は客観的すぎる。客体を殺して、客観も殺そう。何も考えず、僕は階段を降りる。
「きょうは白米とごま塩ふりかけよ」
僕は叫んだ。
「うわあ! 美味しそう!」
テスト期間中なのに、こんなに張りきって文章を書く自分っていったい……('A`)
萌えそうだから読んだ。
面白ければなんでもよかった。
今は感動している。
いつか、偽りなくこう言える日がくることを願って──。(参考:むしゃくしゃするガイドライン(2ch))
何事も始まりが動きがたい。
サイトで文章を多く書くようになってから、他のサイトの中の人の書く文章が、以前よりも気になるようになりました(2004/09/07の雑記より)と以前言いました。今回は小説を書いてみて、「やっぱりそうかな」と再び納得しました。
「何かをする」ということは、「何かを理解する」ことと同時に、「何が理解できていないかを理解する」ことでもあると思います。何もしない時点では、たしかに「何もわからない」状態で、あまり面白いことはありません。でも、ちょっとやってみれば、「わからないことがわかる」ようになり、そこから興味が出てきたりします。
雑記を書けば雑記を読むのが楽しくなって、小説を書けば小説を読むのが楽しくなる。与えることで受けることが楽しくなるんですよね。さらに与えること自体も楽しかったりしてね、それはまるで、いや、僕はしたことないんだけど、むにゃむにゃ。
まあ僕なんかは普段ボエーっとして生きていきます。「生きる」という能動的な言葉でなく、むしろ「生かされている」といったところでしょうか。でも、たまーに真剣になって「生きる」ことで、他人が「生きる」ことや、他人が「生かされる」こと、そして自分が「生かされる」ことも楽しくなったりするのかなー、と思います。うんうん、「生かされる」ってちょっと、ね、だよね。これもさ、僕は、したことないんだけどっ! むにゃむにゃ。
最初期とはまるっきり違うサイトになった感じらしいです。でも僕は最近、実は、にうず部よりも先日いっそう素敵なタイトルに変わった「夢峰」とかさっき「始まりの眠たさ」を読んで「うわあこれえっちだね」と感じた「現実関数リヴォルヴァ」のほうにチェキチェキチェキです、なのです。国語の教科書からは得られないような言葉の面白さを、香陸さんのつづる文章から感じ取ることができました。小生にうずのほうでも「長文待ち」が一気に開放されて、どきどきわくわくです。
個人サイトというのは日々変わっていきますよね。それは本来自然なことであって、僕みたいに「ニュースサイトをお休みしてみます」みたいなのはあからさまですが、まあいいか、はは。
以前なにかのテキストで、「ネタサイトはやがて自分のネタが尽きる。それで他人のネタを紹介、言及するサイトになる。やがてそれも面倒になりネタ張りサイトになる」という流れが述べられていて、そのときはけっこう納得していました。でも、この逆もありえますよね。いろんな流れがあって、それが個人サイトらしさなんだと思います。
さて、僕もいままでのネット人生を振り返ってみようかな、と思ったのですが、実は2003/11/24にそういうことを記してあるのですー。というわけで、簡単なくろぽ史でも作成してみます。でも、なんだかアクセスアップ記録みたいになっちゃいました……。
( ゚∀゚)彡くろぽし!くろぽし!
昨日の小説は行数を100行にしようと無茶しちゃったよう。調子に乗ってきょうも小説。昨日言った香陸さんの他に、清水義範(はてなキーワード)氏の作風からもけっこう影響を受けている気がします。質の点では遠く及ばないけどねっ。
それにしても、僕が小説を書こうとするなんて思いもよらなかったよ。人というのはどうなるかわからないね。まあまぁ、あんまり面白くないだろうけど、てきとぅーに読んで嘲笑してやってくださいな。
「内面を閉ざす鍵」
「僕は純文学を書きたい」
「それは無理だね」
「え……」
「『純文学』には『僕は純文学を書きたい』という発言はそぐわない」
そんな理屈があるものか。僕はただ、いまの気持ちを述べただけで、純文学を記したわけではない。しかし、彼は意地悪く言う。
「キミは『純文学』を書きたいと言ったのに、いまは『純文学』を書きたくないと思っているね。キミは嘘つきだ。キミが本当に『純文学』を書きたいなら、その気持ちすらも『純文学する』のが道理ではないかい」
「『純文学する』ってどういうことだよ」
「ぶっちゃけわからん。キミが考えればいいよ」
僕は彼の無責任な発言にムカついた。いや、いささか遺憾の念を抱いた、と言おうか。
「キミの『ぶっちゃけわからん』という発言は、僕の『純文学』にはそぐわない。キミは立ち去り給え」
「お、言うねえ」
「言うとも」
……それにしても、「純文学」とは一体なにものなのだろう。ただ会話が妙に整っていればいいのだろうか。僕は彼の「ぶっちゃけ」を非難したが、実は「純文学」は「ぶっちゃけ」なのかもしれない。定義としては「読者に媚びず純粋な芸術をめざした文学作品」らしい。読者に媚びないとはどういうことだろう。わがままな小説ならばいいのか。それに、「読者に媚びず」に書いて出版するなんて、自慢しいかよ。それとも、宗教や思想が入っていればいいのか、それなら僕には無理だ。その前に、文学ってなんだろう。
「そう、その間が『純文学』だよ」
僕の思考をさえぎるように、彼は言った。
「キミはいまキミが思うままを、キミの内面を、純粋に描写している。キミはいま小説を書いてない、オレと話しているね。その点では『純文学』ではないかもしれないが、キミは読者、つまりオレに媚びずに、『純文学している』と思うよ」
都合のいいことをぬかすな。「わからない」と言ったのは誰だ。キミは何様だ。
「キミは僕の『その間』のあいだに何をしていた?」
彼は固まる。
「キミの言うとおり、僕は「純文学していた」としよう。そのとき、キミに存在価値はなかった。そもそも、キミは僕の『純文学』には不要なのではないか。なぜならキミは『純文学していない』からだ」
「何を言っているんだ。オレはいま、こうして話しているだろ。これがオレの内面描写だ」
「嘘だね。それは内面ではない、外面だ。キミの内面を描写してみろ、この、『鍵括弧』の中に。キミは独り言をつぶやく、ただの危ないヒトだ。だから、キミは『純文学できない』のだ。存在しないも同然なんだよ」
怒りからか、悲しみからか、酷く醜くなった彼の顔に、さらに告げる。
「キミは……」
僕が「要らない」という言葉を発する前に、彼は叫ぶ。
「だまれ!!」
ふむふむ、もう少し付けたそう。僕の内面は、それをこう捉えた──「だまれ!!!!!!!」。
彼は息を荒立て言った。いや、言わなかった?
「 」
彼は安堵の表情を取り戻した。そして続ける。
「これはオレの精神だ」
なんのことかわからない。僕は、好奇心から、あるいは、なんらかの残忍な感情に従って、その「鍵括弧」に近づいた。その上端(「)に触れようとしたとき、彼はあわてて忠告する。
「おっと、そいつに触れたら火傷するぜ。それか、感電しちゃうからやめたほうがいいよ」
ますます、わからないことを言う。彼は狂っているのか? とにかく、僕はその「鍵括弧」に手を掛けた(「←この部分に手を掛けた)。
「やめろ!!!」
これは驚いた、さしずめ──「やめろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」だ。鍵括弧を突き抜けるかの勢いだ。
僕はかまわずその「鍵括弧」を、外した。
シュー。
煙が吹き出る。それに紛れ、彼が見えなくなる。そして「鍵括弧」は震動を始めた。
彼は悲鳴をあげる。
鍵括弧の中では表したくないほどの、ひどく悲痛な、断末魔の叫び。
「鍵括弧」はいっそう激しさを増す。「ゴゴゴゴッ……」──いや、やめておこう、エクスクラメーションマークが突き抜けてしまう。まるで地震のよう、いやこれは地震だ。僕はもう立っていられなくなった。
大地は「鍵括弧」に共鳴し、ひどく鈍いリズムを刻む。いっそう甲高くなった彼の悲鳴が、その鈍いリズムに乗って響き渡る。僕の耳を突き刺すかのように、脳を破壊するかのように。
僕は涙を流した。そのハーモニーがあまりに美しすぎたからだ。僕は彼のことなど忘れ去り、恍惚に浸る。
……煙が晴れたとき、彼は「鍵括弧」だった。彼は「鍵括弧」の中に閉じ込められて、もがいていた。滑稽だ。何か訴えている、しかし聞こえない。手から血を流し、「鍵括弧」の上端を殴りつけている。痛々しい……違う、清々しい。ふん、何か言っておこうか。
「大丈夫か!?」
彼は酸欠の金魚のように弱り果てていった。音もなく口をパクパクさせているところなんて、本当にピッタリじゃないか、はははは。
やがて彼は何かを悟ったように、腰を下ろした。冷酷だった僕の内面は、ここで初めて移ろう。内面と外面を一致させる。
「だ、大丈夫か……?」
同時に、僕も何かを悟ったようだ。
彼は「 」で、内面を訴えた。いや、何も訴えなかった。彼が訴えることで、彼のあらゆる内面は外面へと変換される。「空白」は、彼が表現しうる唯一の内面だったのだ。「空白」はいかようにも捉えられる。僕が「わからない」と感じたのは、彼にもたしかに内面があるという証明だった。
僕は彼の「空白」を破壊した。そして、文字通り──どうだろう、これこそ本当の「文字通り」ではないだろうか?──、彼のすべてが、鍵により閉ざされたのだ。
彼のことがひどく惨めに思えてきた。
しかし、僕は彼にサディスティックな笑みを残し、その場を立ち去った。
僕が「純文学した」結果──これはそういう物語だから。
まいやはっはー。
香陸さんが書いている小説が面白いですー。まだ「物語-1」の一部しか読んでいないんだけどね。どれもこれも、すごく不思議なお話です。えーと、僕も小説を書いてみたくなったので、書いてみます。香陸さんの作風にかなり影響を受けてるかもです。最初に英語で初めて、最後にも英語で締めてあるのは、完全にパクりです、えへへ。
「行間との出会い」
It is between lines or never be
「僕はおもしろい小説を書きたいんだ」
「もうおもしろいよ」
「え? まだ1行しか発言してないのに……」
「ほら、もう4行目だ」
「あ、いつのまに」
「『地の文』を入れたらどうだい?」
「『地の文』?」
僕はなんのことか疑問に思った。
その一瞬の間に、彼はにやついた。
「ほら、もう10行目だ」
「あ、いつのまに」
……何かおかしい。
「いや、行数の問題じゃないだろ」
彼は答える。
「キミは行数の問題じゃないと言いながら行数を増やしている。なぜだい?」
彼は続ける。
「なぜだい?」
「なぜだい?」
「なぜだい?」
「なぜだい?」
「なぜだい?」
「なぜだい?」
「なぜd……!?」
僕は彼を殺した。そうする他なかったからだ。
彼の「なぜだい?」が頭に響く。まるで、僕が彼を殺した理由を問うかのように。
ところで、僕は、いつ、彼を殺したのだろう。
23行目には、彼はまだ死んでいなかった。24行目には、彼はもう死んでいた。
「行間を読め」という言葉が脳裏をよぎった。
しかし、変だ。「行間」に「事実」を隠してもよいものか。「叙述」は「行」でしか記せない。「行間」に込められるもの、込められてもよいものは「筆者の意図」だけではないだろうか。「叙述」を封じ、「行間」に「事実」を隠した小説は文学的とはいえず、ただの不親切な小説ではなかろうか。
彼が死んだという「事実」は、実は存在しないのではないだろうか。
「さて、無意味な発言でもするか」
そう言って、彼は立ち上がった。
……。しばしの沈黙。
「ふじこ」
!? 僕は驚いた。彼は実に誠実だったからだ。「聞いて驚くな」と言うやつほどつまらないことを言うが、彼は本当に無意味な「ふじこ」だった。
「ラビィ!!」
「ぷりんてぃん」
「猫耳モードでーす」
「ウホッいいおとこ」
「やらないか?」
「が、がお」
「ムネオハウス」
「ぬぐー」
「この点はでねぇよぉ!」
「(゚∀゚)ノキュンキュン!!」
「キープダルシム」
「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」
しかしそれは無意味ではない、ほで二位だ。
「モモーイ」
「うぐぅ」
「やれやれだぜ」
「電車男」
「ハッスルハッスル」
「ぷーやん」
「に〜ちぇ」
「中の人などいない」
「くろぽ」
「ぬるぽ」
「ガッ」
「デスノコラ」
「ゲーム脳」
「おっぱい!おっぱい!」
「巫女みこナース」
「殺してみろ」
彼は意味を発した。
僕は答える。
「キミは死ぬ」
「キミは死んだ」
「キミは死んでいる」
「キミはいま死ぬ瞬間にある」
「キミは先ほど死ぬ瞬間にあった」
「行」が増える、増やしてしまう。
「キミは一秒後に死ぬ」
言い終わる前に一秒が過ぎた。
「キミは十分後に死ぬという事実にある」
そして、彼は即答する。
「僕は死なないという事実にある」
どうしようもない。「事実」を、上書された。
彼は死なない。
彼は「行間」だからだ。「行間」という非事実の存在に、「死」という事実は成しえない。 「筆者の意図」でもない、「事実」でもない、彼は行間に潜む魔物なのだ。
僕がどれだけ表現を駆使しても、「行」では彼を殺せない。
僕は恐ろしい。
彼を殺したい。
何をすればいい。
「行」と、「行間」、以外の、何かがいる。
僕は悩んだ。
彼はにやけた。
僕は悩んだ。
彼はにやけた。
僕は悩んだ。
彼はにやけた。
僕は悩んだ。
彼はにやけた。
僕は悩んだ。
彼はにやけた。
僕は悩んだ。
彼はにやけた。
僕は悩まなかった。さらに、もう悩まないという事実にある。
彼は、一度だけ、にやけた。
A hundred lines have been lost
and, these two lines...
ARTIFACTさんの飼い犬が行方不明らしいです、あわわ。
だいぶ話の筋がずれますが、子どものネット利用について考えたことを少々。
もちろん「厨房」を否定的に捉えることもできるのですが、一方で「あいてぃー技術をこんな自然に使いこなせるなんて凄い」のもしかりです。中には、がぞさんのように「中身」まで伴わせて技術を活用している厨房(し、失礼っ)もいます。
50%の可能性は50%の不可能性を示す通り、良いことと悪いことは表裏一体です。事実上の対象年齢が低いからといって、「ぱどタウン」や「カフェスタ」を見下すことは暴論です。しかし、たとえば「殺人」に至ってしまうと、どこかオカシイなーと感じざるをえません(ここでは“「殺人」のどこが悪い”とか“それは「例外」だろ”という話は置いておきますね)。
あいてぃー技術におけるトラブルの原因として、主に情報リテラシーの欠如が挙げられます。僕はこの言葉を「社会的情報リテラシー」と「個人的情報リテラシー」とに分けて考えたいです。前者を「情報の客観的な真偽や、論理的な正誤、または意見の倫理的な善悪」を判断する能力、後者を「コミュニケーションにおける解釈や、コミュニティでの言動」をそつなく行う能力と定義します。
「子どもの」ネット利用という視点において重視されるのは、「個人的情報リテラシー」の方だと思います。(でもあれだよね、真偽とか解釈とかなんて不可分だし、そのどちらもを考えていかないとダメだよね。それに社会はときに個人だったり、個人は社会だったり、むにゃむにゃ。えっと、これ以上書けそうなことがないので、このへんで切っちゃいます。)
以前組んだ個人サイト特集で子どものネット利用についてのリンクがあるので、よかったら参考に。
「しかし」より「ところで」の方が穏やかだ。
駄文にゅうすさんのサイトが更新停止する日 〜最後は…どうか、幸せな記憶を。〜読んでるよ。面白いね。いろんな意見があるんだなーと、とても参考になるです。
明後日からテストだよう。11月13日は僕の誕生日です。その三日後は黒板ぽの誕生日です。何かが、起こる。(・∀・)=ャ=ャ
たとえ遅くても、丁寧な情報(あるいは意見や思考)提供を心掛けたいです。やっぱり男は誠実さが一番です。うんうん、おにゃにょこも誠実さが一番だよね!
「時間がお金で買えたら……」というが、僕は時間でお金を買える方がいい。
時間と分子の振動との関係を調べようと思ったけど、ものすごく難しそう。
僕は何をしたいのかわからない。するべきことがわからないと言ってもいいし、したいことがないと言っても正しい。なにもしないことは快いし、なにもしないようにすることも落着く。
ところで、これは因果だろうか。なにもしないようにするからなにもしないことで快くなるのか、なにもしないようにするから落着くのでなにもしないのか、それとも僕のなにも「しないようにする」意思にかかわりなく、なにもしなかったから快くなるのか。僕は結果を起こすことはできない。結果は起きるものだから。結果は原因により起こる、とする。
僕が原因を欲したとき、その意向を理由と呼ぼう。それならば、理由と結果はつながっていない。さらに、理由が原因を起こしたかどうか、僕には知るすべはない。だから、結果が理由により起こったのか、原因により起こったのかはわからない。僕の意思はあらゆる結果とは断絶しているかもしれなし、逆に、あらゆる結果の原因かもしれない。
結論としては、わからない。わからないということがわかるというのは因果なものだ。
いや、因果についてわからないのだから、因果なものではない。因果ではないものだ。
いやいや、冷静に考えると、これらの因果は別の意味の因果だ。この因果とその因果は因果で結ばれていない。
つまり、断絶している。因果なものだ。いやいやいや……。
……いやいやいやいや……。
僕は間違えるのが恐い。だから「絶対」ときたら「ひとつの」にする。
気が向いたときにノンビリ作れるのが個人ページの醍醐味なんだし、その意味でサイバースペースは個人にとって一種のリゾートだと思う。仕事に追いまくられ、家庭に追いまくられ、その上サイバースペースでまで時間に追いまくられたくないなぁ。
うんうん、その通りだよね。僕もサイトを運営してるのは、たまたま気が向いているからです。でも、「ノンビリ」ではないかもしれません。文章を書きたいけど、なかなか言葉にならなくて、つながらくて、「時間に追われる」こともあります。僕にしてみれば、この緊張感が「リゾート」だったりするのです。うーん、ちょっとまぞひすてぃっくだなあ。
まあまぁ、「ノンビリ」とした「リゾート」は人それぞれです。この引用文では、「仕事」「家庭」がネガティブな意味で用いられていますが、だからこそ「サイバースペース」であくせくして心を解放してやるのもひとつの手段だと思います。逆に、「仕事」「家庭」が何か良いことがあって、それを「サイバースペース」で表現するも楽しいよね。人々が個人サイトに求めるのは様々で、仮に同じものを求めるにしても様々なやり方があります。
さてさて、僕個人としては、「ノンビリ」と個人サイトをやっていく意向はあまりありません。僕にとって、ウェブは忙しい空間だから、です。くろぽを更新しなくても、ウェブ上の情報はぼこぼこと生み出されて、僕はそれに触れるたびに革新を迫られます。その革新は無意識的に起こり、ぼーっとしていると、僕の意識は僕の無意識においていかれるかもしれません。だから、意識で無意識でまさぐるように、日々くろぽを更新するのです。(うーん、自分でもよくわからない表現だぁ)
僕が言いたいのは、サイトを日々更新しろということではありません。むしろその逆です。たとえば僕のサイト更新のように、「ノンビリ」しないことを続けるには、どこかでその逃げ道を作ってやるべきじゃないかなーと思います。いま「革新」という言葉を使いましたから、「逃げ道」は「保守」といったところでしょうか。新しいモノと混ざり合った心の中から、不純物を取り除いてやるように。
うーんと、僕の場合は、マンガや小説を読んだり、数学の問題を解いたり、電波ソングを聞いたり聞いたり聞い(゚∀゚)たりキ('A`)イタリキ(゚з゚)イタリ……。
うれしいこととたのしいこととしあわせなことのちがいってなにかな。
受験国語とは言葉に対する暴力のことなのである。
すごく明晰だぁ、興奮しちゃうよ、うひひ。こう割り切っちゃうと愛しくなるよね。「オレぁひねくれてんだよ」なんて可愛いこと言う不良ほど、ぢつは心の底で助けをもとめているのですよー、というふうに。
僕はこれから“試験で点を取るための国語の勉強”をする必要が生じてくるでしょう。そこで、とても理不尽かつ不愉快なルールに、僕の心が抑えつけられることもあるでしょう。でもボク負けないよっ! キミのパンチを受け止めて、ボクの両手で優しく包み込んであげるからっ。(なにこれ、中学生のポエムみたい(´д`;))
さて、もうひとつ面白いと感じたところを紹介します。
速く読むことは小説を〈それからどうした?〉という問いにおいてのみ読むことであって、それは小説を物語として読むことだと言える。一方、気が散って「べつなことを連想」しながら読むことは、そのまま〈なぜか?〉という問いにおいて読むことではないにしろ、道草を楽しみながら読むことに他ならない。つまり、小説を小説として読むことだといえる。
(中略)
ロラン・バルトは〈テクストは二度読め〉という意味のことを言っているが(『物語の構造分析』)、一度目は物語として、二度目は小説としてということなのかもしれない。君たちにも、「小説と速度」について思い当たるところはないだろうか。
本書において、筆者は「物語」と「小説」との定義の違いを強調しています。僕なりの解釈としては、「物語」は自分の外で完結するもの、「小説」は自分の内から構築するものといったところです。以前どこかで聞いた(読んだ)「読み返したいと思えない小説は小説ではない」という言葉が、よりしっくりときました。ひとつの小説にも、いろいろな楽しみ方があって、わくわくするですー。
さあ。読み返そう。
世の中の情報の何が正しくて何が間違っているかわからないから、しばらく個人ニュースサイトからは離脱するですー。いろいろ模索していくうちに、解脱もできたらいいなっ。
ああ、そうそう、「燃え尽きた」んぢゃないよっ。前も書いたけど、涙よね。ほろり。んーん、波だよね。……ほろり。……あ、あれ? (オレオレ詐欺のごとく)波波、波だよ、波! ほろり。あれ? あれ? うう、涙じゃないよ、ほろり。
主人公の○○は、小学生のころのトラウマが原因で、脳内彼女といちゃいちゃする日々をおくっていた。○○は彼女を一端の萌えキャラに仕立てようと、脳内で調教に励んでいた。そのうち、○○の属性と完全に合致してしまった彼女への気持ちを抑えきれず、禁忌を犯すことになる。その、終わりの瞬間に、○○と彼女の人格が入れ替わってしまった。○○は自らの脳内へ。彼女は○○の肉体へ。さあ、どうなることやら。
こういうお話、どこかにないかしら?
世の中には事実というものがあるはずだ。人間は事実を発見したり、認識したりする。僕はふと思った。事実を発見したり認識したりするには、それを行う主体、人間自身も事実でなければいけないのではないか。僕が事実を認識したとする。事実を認識した僕は事実なのか? どうすれば確かめられるのだろう。仮に確かめられても、事実を認識した僕は事実だということが事実なのかを確かめなくてはいけない。僕が事実でないなら、事実は、ない。
論理という言葉もしかりだ。人はときに論理的に考えようとする。そのとき、人は、論理的に、論理的に考えなければならないのではないか。論理的に考えようと思ったいきさつは、論理的でなければいけない。「そうだ、論理的に考えよう」では、既に論理は崩壊している。頭の中は、既に論理でなければいけない。既に論理なのか? 僕は論理なのか。ロンリーなのは、たしかだ。
要約:「現実」における人間には、意識がある。ネットと「現実」は違うから、ネットにおける「自分」には、別の意識があるのではないか。「自分」とは「個人サイト」である。それに問うことは「自分」の意識を確かめることだ。
週替りリンクを更新したよ。
◆ロジックの三角形 [とある人間のマニア部屋]
説得力がありつつ、たまに突飛なことを書いて楽しんでもらえるような文章を書きたいです。
「創ってきた情報は消さずに、積み重ねる」
更新においてのポイントは、消さない。ということです。更新するたびに、消して新しく作り直すようなことを最初はしてしまいがちですが、せっかく創ったものはできる限り消さず、何らかの形で残しておくべきでしょう。何らかの形というのは、Webの一部としてもいいし、ローカルに保存しておいてもかまわないと思います。…というのは、日記として残すよりも、こういった創作物として製作した事実を残しておいたほうがインパクトがあるからです。デジタルデータは、消すのが簡単すぎてしまうので、ハードディスクの整理、有効活用だ何だで、けっこう何でもかんでも消してしまがちですが、これはコンピュータ文化の悪い点のような気がします。よく考えてみると、1秒もせずに消してしまったのデータは、3時間くらいかけて創ったものかもしれません。もう昔のものだから…ということで確かにそのときは「不要」に感じるかもしえれませんが、後でみるとけっこうそのときの思いのようなものが伝わってきたり、今まで自分がやってきたことが見えてきたりして面白いものです。デジタルデータは、容量の許す限り、腐ったり劣化したしりすることはないので、せっかく創作したものはできる限り残しておくのがいいと私は最近感じています。
その意味でWebは、自分の創作を物を残しておく場所としても最適であるような気もします。未完成で終わった作品でも、ためしにWebにアップしてみてはどうでしょうか。未完成で終わらせた作品でも、自分にとっては未完成だから、あまり価値がなくても、他者にとっては未完成でも「感動」を与えることができるかもしれませんし、役に立つ可能性も秘めているわけです。
IEコンポーネントよりもセキュリティ的に安全で、動作が軽いらしいブラウザエンジン。Sleipnirでも利用できるみたいだけど、文字化けとかいろいろ不具合あり。実際に使ってみたら、軽いらしいけどぜんぜん実感できなくて、あげくWindowsさんがブルーバックしちゃった( ´・ω・`)
◆腐女子は誰でしょう? (◆ゴタクナラベより)
定義とか。
◆扇風機つけたままで寝ると死ぬ
◆エレベーターの裏技 (◆maname houseより)
めんたまが飛び出ちゃうほど驚いたよ。( Д ) ゚ ゚
アクセス解析の検索ワードを眺めてみました。そこに「バカ site:kiwofusi.at.infoseek.co.jp」というワードが。どど、どういう意図だろう、僕のサイトすべてをバカにされたようだ('A`)アハハ
◆インターネットで体育の学習・アニメーションでできるコツをつかもう・鉄棒編・逆上がり
◆ジャングルジムさかあがり
◆逆上がりが全くできない香具師の数→
おとなの小論文教室。で、「志望動機」について触れられています。山田ズーニー氏曰く、学部・学科で学ぶ意欲
が大切とのこと。僕は理系に進むつもりなのですが、たとえば、文学部では、「ことば」「文化」を学びます
らしくて、それにも魅力を感じています。だから、いまだに文理選択すらあいまいです。
それでも、僕は理系的な思考基盤のほうが素敵だなーと思っています(これは偏見でしょうね、うーんどうだろう)。唯物論的または数学的な根拠をもとに考えるのって、なんだか安心できますよね(これも偏見だろうなー)。
かといって、それでは限界があるんですよね。たとえば、いくら神経細胞の働きが解明できたところで、それが人間の知性や情動の解明に直結するとは考え難いです。その壁を乗り越えるには、論理や事実といった確からしいレールの上から、少し足を踏み出してみることも必要だと思います。
僕はどっちかというと、足をぴょこぴょこ踏み出したい困ったチャンなので、理系的な思考と文系的な関心のあいだを行ったり来たりしているのです。理系的な思考をもとに、レールを敷く。文系的な関心から、敷いたレールからあえて飛び出す。なんだか贅沢だね、うひひ。
いままで外部リンクの前にすべて「◆」を付けていたんですが、文中だと見栄えが悪いのでやめます。でもいままで通り、外部リンクはすべて_blank(新規ウインドウ)です。くろぽの中のリンクは同一ページでリンクします。フィーリングで見分けてくださいな。
でもきょうは日記サイトだったり、いひひ。
サボテン飼いたい。
『ネットランナー11月号』とNHKにようこそ!(Amazon.co.jp)(コミックの第一巻)を買ったよ。ネトランはニ年ぶり三冊目の購入です。日本ひきこもり協会は原作(Amazon.co.jp)も読みたいね。
久しぶりにネトランを読んでみて、パソコン雑誌ってはじめの一冊目がおもしろいんだなー、と感じました。購入ガイドみたいなのを読んだときは、BTOって安っ( Д ) ゚ ゚ 、と驚愕したし、ネトラン読んだときは世界が広がっていくようでした。なにごとも「はじめて」が一番楽しいのかな、わくわく。
以下は図書館で借りた本。
◆きみとぼくの壊れた世界 [Amazon.co.jp]
実は、ライトノベルを読むのはじめてです。( ゚∀゚)彡 はじめて!はじめて! わくわく、をしをし。半分くらい読みました。
感想を言うと、「面白い」です。「小学生一年生の読書感想文かよ!」と怒られそうですが、他にいいようがありません。インタレスティングじゃなくて、ファニーというか、むやむや。僕はいわゆる「エンタメ」の本というのは、あまり読んだことがないのです。背伸びしてむずかちそうな本ばかり読むからね、えへへ。そんなぼくが「面白い」本を読んでも「面白い」としか言えないのだよ、えっへん。やっぱり「ライトノベル」という言葉は、「ライトノベル」にぴったりだよね。あーもう、さっきから当たり前のことしかいってないや。
◆脳内現象 [Amazon.co.jp]
(まだ流し読み程度だけど)認知科学的な根拠に基づきながらも、なかなか(良い意味で?)危なっかしい考察を振り撒いている、読んでいて興奮する本です。特に、第二章の「世界に働きかける<私>」という見出しには(゚∀゚)ノキュンキュン!!ときました。これら二冊は、我ながらチョイスナイス、チガクテッ、ナイスチョイスだと思いましたよ、きふきふ。
そのうち感想でも。
◆大学受験のための小説講義
◆心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く
◆それは「情報」ではない。―無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン
先日は、サイト論に飽きたようなことを書きましたが、やっぱりサイト論のようなことを考えるのは楽しいですね。僕は天邪鬼(凄い漢字の感じだよね、あまのじゃく、あれ、凄い感じの漢字かな、決められないよ、これじゃ天邪鬼じゃなくて優柔不断だよぉ)なので、常に過去の自分にひねくれ続けるんですよね。そういった点で、僕には「本当の自分」なんて存在しないのです、をしをし。
でもやっぱり、その根底は確固たるものを築きたいです。逆ベクトルを足していくのではなく、逆ベクトルを掛けていくように、ウヨサヨしながら延び続けたいのです。そのためには、やはり日々の生活を見直さなくてはなりません。──まあまぁ、そんなことはこのわーるどわいどうぇぶにおいては誰も無関心だろうから、ほんとは「このサイトのありかたを見直していきます」とか言うべきでしょうね。
しかし僕はテンジャキ、じゃなかた、あまのじゃくなので、わーるどわいどうぇぶに自分の生活のことを記そうとするのです。小生にうずを書いている人の香陸さんも、いまいろいろとサイト方針を模索中のようなので、僕も香陸さんを模作しつつ、なにかと模索していこうと思います、きふきふ。
まずは「これだけは!」というものをリストアップしてみよう。
上に行くほどリアリスティックで、下に行くほどファンタスティックです。三つしかないけど。
さて、話をそらしてみると、僕はいま「逆ベクトルを掛ける」という比喩を用いました。こんな明快(だと思いたい)なたとえを考えつけたのは、僕がベクトルという概念を知っているからです。こういうときに、数学を学んでいてよかったなー、と思います。
とはいっても、これって“なんか数学っぽいアイデア”ではあっても、“数学的思考”とはちょっと違いますよね。論理性をそっちのけにして、単なるイメージとしてベクトルのことを思いついたにすぎないからです。この点からは、「数学は思考力を養う」とはいい難いですね。
でも、高校のいわゆる「数学A」でやる「論理と集合」あたりは、そのまま日常の思考に結びつけやすいと思います(実際はどうだか……)。「対偶から考えてみよう」とか「これは必要条件であって十分条件ではない」という考え方は、まさに“数学的思考”に近いものだと思います。ロジカル・シンキングでよく言うMECE(モレなくダブりなく)という概念も、「論理と集合」の知見です。
それでも、これは数学の一分野にすぎず(むしろ論理学?)、おしなべて数学が「使える」ものかは判断しかねます。まあ結論しては、専門的に役立つことはもちろんあるし、日常的に役立つこともあるかもしれないけど、ないかもしれないやぁ、ということです、むにゃむにゃ。
ここで個人的な話をしてみると、僕はあまり数学が好きではありません。具体的には、問題を解けたときに「よっしゃーっ」とか爽快感を得たり、考えているときに「こにゃくしょ、やっかいだなこれ、でも人間っておもしろっ」と感じたり、しないのです。しかし、嫌いなわけではありません。
僕にとって、数学とは左脳的芸術です(左脳とか右脳とかいう表現はあまりすぎじゃないけど……)。どこかの偉い人が「芸術は爆発だ」と言いましたが、その反対ともいえます。天性的なセンスなしに、じっくり考えることで“美しさ”を表現できるのが、数学という世界です(と思います)。混沌としたこの世界のなかで、唯一、合理的な美しさを表現できる場、それが数学です(言い過ぎかも)。
だから、たまにまったりと数学する(?)ことで、それが生き抜きになったりはするのですが、それ以上でもそれ以下でもありません(←数学的にはありえな〜い)。まあなんというか、好きなのかもしれません、はは。まなめさんが数学についていろいろ書いてるので、僕も便乗してみました。
いわゆる縮小更新ぎみ、むむむー。
◆チェックボックス対ラジオボタン [U-Site]
Formタグ使ってる人はチェキ。
◆「Web化」と「オン・デマンド」に見る、昨今のデジタル・ディバイド [日経]ITのメッセージは、物理的なものから論理的なものが中心となりつつある
。
◆ニートという生き方/1/2/3/4/5 [毎日]
◆今を生きる [JANJAN]
◆活字離れは本当か!? 若年層ほど高ポイントの‘本' [Yahoo!ニュース] (◆Tempじゃ〜なるより)
電子辞書も欲しい……。
◆書評ニュースサイトがあったらいいな。 (◆はてなダイアリー - モノグラフの自由帳より)
ウェブというのは、素人玄人は混在しますが、たしかに多数の視点がえられますね(ギョロギョロ、ジャイロ、グァイロウ(゚∀゚) ……ジロー(ボソ )。だから、複数が感想を述べていて比較
できたら嬉しいよね。でも実際は難かしいぜー、というお話。関係ないけど、ジローさんの処女FLASH◆ムッコロマンボ!がいい!
◆「買ってください。読んだら、捨ててください。」 (◆はてなダイアリー - モノグラフの自由帳より)
本は高い。(以下、愚痴につきコメントタグで省略)
◆URLの間違いにはご注意を (◆Tempじゃ〜なるより)
「もし意図的だったら……」という恐ろしさもあるよね。
◆良いアルバイトをした経験を教えてください [はてな] (◆Tempじゃ〜なるより)
大学生になったらしたいよ。家庭教師が良いな、いわずもがな、おにゃny(略。
◆未解決事件スレッドのまとめサイト (◆小生にうずより)
二次元の世界へトリップしたのかも。どこかで幸せに暮らせていたらいいなあ……。
ひとまずうなずいてみる。破壊が建設になる。うん。
「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」に勝る、黒板ぽのきをふしです、こんにちぽ。ち、ちん……ぐわわっ。
◆Google 検索: ほ (◆Doblog - できそこないβ版 -より)
マダマダダネッ!
できそこないさんの、恐るべし。「ほ」でここまで上り詰めるか
というコメントは、僕に向けてですよね?
素晴らしい目の付け所なのが、◆テンポシュブングジャーナルさん。素敵すぎます、惚れちゃいますよ。デカ○○の意味を知らなかった純粋なところも素敵です(なんで僕は意味を知ってるんだろう……)。
◆Google 検索:燃える (◆Doblog - できそこないβ版 -より)
こっちも面白いよ。気が利きすぎですよ。誰か擬人化してほしぃ。「あ、あのぉ、もしかしたら、も(ト頬を赤らめる)……萌える、じゃないかなぁ?」そんなぐぐるたんに(;´Д`)ハァハァ
なんだかテンション高いよ、きふきふ。
でも、◆黒板でググって一番上にくるのは('A`)
◆ネット社会の情報リスク:「掲示板へのクレーム対応」(その1)/(その2) [日経BP]
◆ネットで入手するスポーツ情報は「速報性の高い情報」 (◆カトゆー家断絶より) [ITmedea]
◆ネット書店と書店の客注、どっちが早いか? (◆Tempじゃ〜なるより)
◆自分の常識は他人の常識!? (◆はてなダイアリー - 一軒家@メモ帳より)
◆苦手科目 ネットで克服〜小中学生にも広がるeラーニング [東京新聞]
講師をアニメ絵にして声優さんを起用すればいいよ、絶対流行るよ!
◆経産省がブログ [ネットは新聞を殺すのかblog]
◆IT@RIETI e-Life Blog
◆架空請求と不当請求の違いを知る [All About] (◆小生にうずより)
◆2ちゃんねるの歩き方 (◆-帝王-より)
◆対話式サイトであること(10/8 & 10/9) [えたーなるすのー]
僕は萌えキャラ創作できないからムリですね。というか、僕自身が萌えキャラだからね、うわっ、反感かっちゃうよ。
◆優れたアイデアの創り方 (◆はてなダイアリー - 一軒家@メモ帳より)
◆あなたの文章作成をサポートするコンテンツ・オーガナイジング (◆はてなダイアリー - 一軒家@メモ帳より)
◆シスプリ「どぶねずみ」問題の考察 (◆電脳遊星Dより)
(追記)
◆騙すほうと騙されるほう [もなみ9歳]
◆メイド喫茶「WishDoll」のストライキ騒ぎはネタ (◆かーずSPより)
◆暇なので女の子にキモメールを送ろうまとめ (◆はてなダイアリー - 酔拳の王 だんげの方より)
うゆー。
◆オフ板強姦騒ぎの経緯とか (◆線友達に贈る詩より)
◆苺きんたま祭(FLASH) (◆電脳遊星Dより)
消えてた。どこかにあるかも。
◆苺キンタマウイルス祭まとめ [電脳遊星D] (◆maname houseより)
◆苺きんたままとめサイト (◆うらのおもてより)
◆プログラミングの禁じ手Web版 C言語編 (◆maname houseより)
◆お勉強ページ 勝手にリンク まとめサイト (◆はてなダイアリー - 一軒家@メモ帳より)
◆Visual Website Editor 2.0.0 (◆無料ページ作成ニュースより)
U-20プログラミングコンテスト優秀賞受賞作品のHTMLエディタ。
◆「これからプログラミングを始めてみたい」第1章:代表的なプログラミング言語
プログラミングができる人って凄いね、ましてや上のツールの作者は僕と同い年のよう。僕はifとかswichとかfor文の違いがうやむやとわかる程度です。HTMLとCSSいぢるのは楽しいけどね。
たまに、この作業を簡略化したいなー、と思うことがあります。そういう点で、僕は実用的な観点からはプログラミングに魅力を感じます。逆にいえば、プログラミングそのものに神秘的な関心を抱いていることはありません。こういう人はプログラマに向かないのかな。
プログラマは「面倒くさがりや」が良いといいますが、言語習得まで('A`)マンドクセと感じる僕はどうしようもありません、あはは。
◆偏向の歴史教科書、直ちに修正すべき [中央日報:社説] (◆だい医院小児科 (福岡市)Topより)
僕は社会とか歴史のことはあまり知識がありませんが、「歴史は情報としてしか存在しえない」という点で、ここにおいても情報リテラシーは重要だと思います。
なぜ歴史を学ぶのか。その道の学を深める人ようなでなければ、それは単なる一般教養のためでしょう。少なくとも、学校の授業で習う歴史についてはそういえます。だから、僕たちは客観的に歴史を見る目がまだ形成されていない学生
でしかなく、歴史的思考(?)により正確に事実(らしいもの)を読み取ることは難しいです。
「なら歴史的思考を身に付けさせればいい」といわれるかもしれませんが、それも難しい問題だと思います。知識を得ることは簡単(ただ覚えればいい)ですが、“どの知識をどのように身につければいいか(情報リテラシー)”ということは、一般的な方法論は(いまのところ)成り立ちません。たとえば、以前のコミュニケーション錯誤による児童殺害事件や、ネット上に氾濫する虚偽の情報が、その難しさを物語っています(「歴史」という観点からは大きくずれますが……)。
だからこそ、学生が対象の歴史教科書の内容は、客観的で価値中立的でなければならない
のでしょう。でもそれだと、僕たち「学生」は手のくだしようがありません。結局、教科書──恣意的に生み出された事実(らしいもの)──は学問の偉い人やなんとか省の偉い人に依存するのですから。
そこで問われるのは、やはり教師の質だと思います。僕のような学生が「教師の質」なんて言葉を使うのは生意気かもしれません。それでも、現状の「知識」を伝えるだけの授業から、もう一歩先に進んで欲しいと思っています。
ありがちな言葉遊びですが、「先生」は「先に生きる」者と書きます。僕のような未熟者でも、知識を詰め込むことはできます。しかし、それを活かしうる知恵や方法を身につけるには、豊富な人生経験が不可欠です。だから、僕たちに伝えて欲しい。知識ではなく、あなたの経験を。
僕たち学生は、いや、私たち人類というものは、先達の知恵を受け継ぎ文化を発展させてきました。知恵とは、本を読めば得られる知識には限らず、人と人との伝達によって生まれるものだと思います。ゆえに、人は知識の絶対量を増やすだけではなく、それを有効に活用して豊かな社会を築いてこれたのでしょう。
歴史の話から大きくそれたようで、なんだか歴史の話に帰結したような、あはは。言いたい事をまとめると、「僕は知識なら自分でどうにかするよ。でも経験から生まれる知恵は僕一人じゃ難しいよ。だから、あなたの知恵を伝えて欲しいな。だいじょーぶ、いつか僕も、僕らの子どもたちに伝えるから」ということ。うへへ、子どもって役得だよね。
◆駄文にゅうすさんにて、ジャンプ関連の記事多数
◆ジャンプ論はかなり読み応えがありそうです。
◆愉快な卒論を集めてみたよ [In & out of my life]
またもやナイスまとめです。
◆「どっちの萌娘ショー」結果発表。今回の対決はスク水vs体操着! (◆カトゆー家断絶より)
そんなバカなああああ。
◆ネコミミの元祖は手塚治虫だった (◆舞軌内雑筆店より)
◆初心者のためのアダルトグッズ講座 (◆ネタサイドより)
◆2005年 「最終兵器彼女」 プロジェクト発動!実写映画化 & 新作OVAリリース決定! (◆MOON PHASEより)
(*´д`*)
◆週刊ぎゃるっ娘通信 『グリーングリーン2』 特集ページ公開 (◆駿河電力/スク水.jpより)
僕は18禁ゲームはできない(ほんとにやってないよ、あわわ)けど、グリグリは大好きです。失われた青春というか、……って、そもそも青春なんてシラネーヨヽ(`Д´)ノ
◆¶¶家庭教師ヒットマンREBORNで801¶¶保管庫 (◆ゴルゴ31より)
へー、意外。
◆大場つぐみ・小畑健インタビュー (◆えごせか。より)
相変わらず謎。
◆ホモの定義とその歴史 (◆ポにゃペぺ堂より)
◆これが俺の決定版「オタクの定義」 (◆はてなダイアリー - 一軒家@メモ帳より)
まあ難しいですね。
◆カードダスの伝説の裏技「2枚出し」解説 (◆【choiris〜ちょいりす〜】より)
◆「うぐぅ」の元祖は月宮あゆではないらしい (◆【choiris〜ちょいりす〜】より)
◆中学生でセックスすると人生パー [ゲンダイネット] (◆仕分け屋一ツ橋より)
和田秀樹も受験生はセックスするなと言ってますね。
◆僕らの知らない生活をする人たち (◆ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWSより)
ヤクザ。
◆バールのようなもの - Wikipedia (◆カトゆー家断絶より)
◆「マーフィーの法則」は実在する!?――科学者がその方程式を作成 (◆ネタサイドより)
◆7+8=15って少なくね?のガイドライン (◆中途半端な暇人の家より)
◆電車で何もつかまらずに立つ為のコツは? [大手小町] (◆私たんニュースより)
◆「mixi依存症なんです」の女性がmixiに入社 (◆【choiris〜ちょいりす〜】より)
自分が好きなことを仕事にできるのはいいね。
◆女は喘ぎ声をこう学ぶ (◆ゴルゴ31より)
◆電話の出かた [大手小町] (◆(・∀・)イイ@Onlineより)「私だ」とスパイ映画みたいにニヒルに電話に出たら、旦那の携帯を使った同僚さんからだったことがあり大恥をかいたこともあります
。うひゃっ。
◆リドミ設立当初のランキングとか見て懐かしんだりしてみる (◆ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWSより)
僕の知らない世界だー。
◆あふがにすタン (◆とらんすぺあれんとより)
マメ知識を添えてあるのがいいね。
◆ソーシャルネットワーキング.jp (◆百式より)
SNSブログ。
◆エログを追いかけろ!! (◆BLOG界の出来事より)
◆オンライン辞書 [INTERNET WATCH] (◆maname houseより)
◆2ちゃんねる生まれのホームページ [2ch] (◆maname houseより)
◆人狼BBSまとめサイト (◆はてなダイアリー - 日々うろおぼえ記より)
◆BUMP OF CHICKENブログ (◆はてなダイアリー - てんつばリダイアル。(リハビリ中)より)
◆Thinking like Singing--やさしく法哲学を奏でて
◆リドミ新作評価ノミネート (◆Target captureより)
◆バガボンドコラ「無ガの境地」 (◆はてなダイアリー - 酔拳の王 だんげの方より)
萌えってカッコイイ。
◆またまた外人4コマ特集・進化を続ける4コマ(?)を見よ! (◆はてなダイアリー - 酔拳の王 だんげの方より)
◆手作りエレキギター/手作りベース/手作りドラム (◆あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんの気にし過ぎとや」日記より)
◆ネットと現実 [今日のオススメネタ] (◆TABASCO PEPPERより)
◆ドラえもん+デスノート (◆誰が為に鈴は鳴るより)
◆チャーハン作るよ!(FLASH) (◆ポにゃペぺ堂より)
どこかに続きがあったかも。
■ 文章の書きごろ
文章には「書きごろ」がありますよね。「書きたい」と思ったときが、ソレです。きょうの雑記にて、僕なりのサイト論について一段落つけようという文章を書いたのですが、「書こう」と思ったのは、実は数日前です。
大まかな考えは書きとめてあった。しかし、それが「言葉」にならない。「考え」はある