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導栞:2006年05月

2006年05月07日(日)

[声優][映画][表現][エロゲ]

続ける力はない。しかし始めなければ。意味は流れることで機能する。

もうお気づきの方もいましょうが、『車輪の国、向日葵の少女』をやりました。エンディングの回収はまだですが。挿入歌である『そらの隙間』が好きです。後藤邑子さんにめろめろです。若本規夫さんにめろめろです。

ところで「ぱにらじだっしゅ!」の第19回ですが、沢城みゆきさんはとてもハタチにはみえません(きこえません)ね。Wikipediaの説明でもただならぬものを感じました。

声優の話しかしないのか、と思われるかもしれませんので、シオリたん萌え。さて、なんののシオリたんでしょうか! BRUです。きょう観ました。あと七原秋也もかっこよすぎです。これなんてラスボスですか。僕は映画のことなんてぜんぜんわからないので(この「ので」は厄介ですが)、この作品は単純におもしろいと感じました。それでもキャラ萌えで捉えてしまうのは、やれやれなぜでしょうな。脳みそとろけてゆ。とにかく、シオリたんおもっともっと、なわけです。さきほどググったところシオリたんの著書がありました(!)ので、これはぜひともチェキします。

『よつばと!』の第05巻を買いました。「このマンガがつまらないわけがない」という安心感は、不思議なほど強くいだける。すごい、としかいえない。

BRUの感想ですが、戦いにおける敵の不確かさ、ということを再び考えました。以前にも書きましたよね。あれは『デュラララ!!』を読んで思ったことです(×2は読みかけです)。ゲームの目的が七原秋也を倒すこと、それで物語がつくれるのか、という疑問がありました。実際に観ても、やはり意味ピーマンです。こいつら何やってんの、思うわけです。ですから「LOST」したときは非常にわくわくしました。そうこなくっちゃね、びし。もっかい黄色い悲鳴をあげますが、とにかく七原秋也がかっこいいの、きゃー、きゃー。マリオRPGでいうクッパ、クロノトリガーでいう魔王(関係ありませんが、僕のなかでカエルと魔王の一騎打ちを超える名場面はありません)。敵がいれば目的は明確です。いなければピーマンです。きょうび、そういうもんで、いまどきです。戦いは、しかしあるある。戦いがあったらとりあえずおもしろいんです。僕は素人ですから、その程度です。ごちそうさまでした。

車輪の国ですが、これも敵がみえない。とっつあんは敵なのか、という話です。それはともかく、車輪の国を知ったきっかけは、たぶんモノーキーKU。です。ありがとうございます。これが僕のはぢめてのえろげえです(この発言に対する意見はございましょうけれど、それなりの意味は込めてあります。ひとは二度生まれるとか、そういう感じです)。ハイパーリンクを作成したついでにもうすこし調子に乗りますと、よしなしごとのお兄さんやみちアキさんやなまめがえろげえの話をしているのを読むと、なんだか安堵を覚えます。

このサイトの話をします。まずサイト名ですが、いまいちですかどうですか。まず(おそらく)読めないというのが大きいです。音にならないぶん印象が薄れます。あと漢字ふた文字というのも字面的に微妙です。さらには意味が込められているというのが非常に問題です。サイト名に意味を込めるのは非常に高級なテクニックだと思います。素人にはおすすめできません。きをふしにもできません。

サイト名したのコピーですが、変えてみました。右手に――左手に――。これ、非常に語呂が悪いです(中国語だったらもっとスマートそうです)。最悪です。言葉は音がすべてです。これではどうしようもありません。どうにかしましょう。ただ、実際にオフ会なんかに本を抱えて登場するのは、それなりにおもしろそうです(ハズしますか? ごめんなさい)。右手に岩波を、左手に電撃を。ていうか、左手には萌絵(森博嗣とは関係ない)だったらなんでもいいです。ふとももとかあほげとかです。すかあとです。

ぱにらじはちょっと編集がくどい。おもしろい言葉はそれだけでおもしろいんだ、っていうのは、まあ僕、日記書きですから(わかりやすくすることの機能はもちろん認めます。あえてわかりにくくするのがきをふしですが)。

導栞は、すごくわかりにくい言葉にもみれるけれど、ひとつのひとつの文字の意味があまりに明確で、この二字の連結についても非常に単純で少し恥ずかしい。個人的には「映す硝子」が好きなんだけれど、これは放置プレイだしなあ。なぜ好きかというと、たとえば「映す鏡」という誤字をされたことがある(それだけわかりづらいのだろう)。また、ひらがなを含んでいる(さらに「す」と「子」の字面がたまらない)。あとは、代替怠惰、導栞にも共通するけれど、どこか気だるい(と僕は思う)六文字の発音。ああそうか。導栞に対する最大の違和感は、漢字二字に六文字の発音をしなければならない不自然さかもしれない。言葉は音。声は息吹。

2006年04月29日26時47分。

2006年05月08日(月)

[アニメ][マンガ][表現]

すかあと膝丈たるべし

自転車に乗ってばかりの毎日。どうしてサドルはもっと高級にしないのかしら。ギリギリの線でかろうじて椅子ぢゃん。えろい。女子高生もあれに乗ってがたがたの道を駆け抜けるんだぜ。あんなものに全体重を預けて。大切なところなんだから、もっと優しくしてあげようよ。男は別にいいよ。とはいえ、蟻(省略されました。続きを読むにはきをふしに半裸の写メを送ってください)。

そろそろ部屋がやばいです。幾人かのかたは、きをふしは清潔で整理がいきとどいているひとだ(生理不順もまるでない)、とお思いでしょうけれど、ないです(生理不順が)。健全な大学生として、部屋は散らかっています。実家から郵送した本はダンボールにはいったままです。これをショボい本棚に移すくらいのことはしましょうかと思いましたが、きょうも自転車に乗って時間を費やしました。

きょうはブックオフで立ち読みです。『ながされて藍蘭島』第07巻、『エルフェンリート』第05-06巻、『Monster』第01巻などを読みました。半勃ちです。えろすぎです。「えろすぎ」に対する感覚はひとそれぞれでしょうけれど、きをふしにはこれがえろすぎなのです。(いうまでもありませんが、べつに『Monster』はえろくないです)

「実は」という言葉に威力はあるのだろうか、と考える。威力とはどういう意味だろうか、と考えなければならない。面倒なので、やめる。

店頭には抜けているが、『ROSE HIP ZERO』02巻以降、『おおきく振りかぶって』02巻以降、また再読として『漂流教室』02巻以降を読みたい。今度、漫画喫茶で探してみます。

う。

お、おはよう。いまアニメ「苺ましまろ」の最終話を観ていました。ほとんど寝ていました。とても心地がよろしいです。ていうか、睡眠めちゃくちゃです。10時間も寝たり3時間しか寝なかったりします。

大学の話でもしましょうか(森博嗣ではありまえせん)。先生ですが、非常におもしろいかたがいました。嫌いです。この言葉も、選びに選び抜いたものです。日記で無説明に書くとこうもさらり。しかし「おもしろい、かつ、嫌い」という言葉遣いは、きをふし的には非常に綿密です。つまっています。

直接に接するのは初めてかもしれませんが、……ああ、いえ、やめておきましょう。ハイパーリンクの作成は億劫ですから(ふだん遣わない「、……」の部位から、まことの恣意性を読み取るのが正解です)。ええとですね、文章とそのひと性についてです。違いましょうけれどそのような感じです。僕は、行為に関しては装いが効かない、と考えます。アンテナにあるあれです。衝撃的なことに、個人ニュースサイターの数時間の巡回は、たいてい数スクロールのページに収まります。そこから何かを読み取ることは、どうしようもなく解釈です。みえない、彼の数時間が、彼そのひとです。更新しつづけること、更新をやめること、再開すること。そう、である、という、状態、がまさに。意味に接していては、解釈しかできないのですね。結構です。存分になさい。

伏線と聞いてわくわくしますか。ご冗談。(「ご冗談」のニュアンスなんて、書き言葉では絶対に伝わらない。僕は口下手だから、その場合はもっと伝わらない)

ウェブログのミームは絶対に絶えない、と思っている。きをふしが「ウェブログ」と言った場合、それは「日々追記の」という意味です、念のため。ミームというのは、「意伝子」という訳語が言い得て妙であるなと思います、松岡正剛。あまりにも自然であるからです。無茶のためには自然が大切です。そもそもがウェブログだった。これからもウェブログだろう。

役に立つことにあまり関心がない。遊べるかどうか、というのが気になる。自律した知能をつくれるとして、望むのは秘書というより友達だ。「意味で遊ぶ」というフレーズがときたま頭をよぎる。インターネット・エクスプローラ、ウェブの探検者は役に立とうか。学生に過ぎない僕からすると、そもそも役に立つということを考えることはできない(偏見と独断)。

しかし発見。もしレポートを作成してくれる彼は、実に役立つ。ところで、RSSの完成度はどれほどなのだろう。僕はいま活用していないのでわかる必要がない。RSSの荒潮で、SBMの山岳で、秘書としての探求者である彼は、いかに役を立てようか。

非常に乱雑であるし、過去にも考えているようなことの焼き写しだ。お戯れで考えることではない、という思いはしかしある。

理系であるが、自然科学の道からすでに逸れている感がある。かといって、工学や技術という領域に収まる心地もあまりない。ここで「サイバネティックス」という古い言葉を連想する。べつに意味や展開はない。

やれやれ。やはり、

勉強というものはおもしろそうだ。わりと好かれる学習という言葉をあえて避け、勉強と。

おれってもっと賢いときあったよな。べつに絶頂期なんてほどのものではない。いまよりも、余計ないことに気づかず、下手なことを考えていない、頭の悪い、あのころ。

右手に哲学を。

2006年04月28日24時48分。

2006年05月09日(火)

[アニメ][マンガ][表現]

ヤンデール

結局、おれは中二病を意識する高二病患者に過ぎないのだな。物語や思想に影響を受けてころころと世界観をひねくりまわすことを避け、本当に大切なインスパイヤまでをも固めてポイする極端な防衛。もう誰もおれを動かすことはできない(と言い回すと中二病的に聞こえるのが不思議だ)。自己が同一しすぎている。自分は、べつに、自分でなくてもよいのに。

もしかしたら「きをふし」がいけないのかもしれない。基本的に「きをふし」は再定義されつづける。だから、原理的に「きをふし」に間違いはない。それにはどんな否定も通用せず、どんな意図も介在しえない。ここにおいて、本音や素という言葉はいかなる意味をも機能しない。「きをふし」に人格なるものを投影したとき、どこかにひびが生じるのは明らかだ。

世にはうつ病というものがあるが、自分がそれにかかるか、と考えると、まるで実感がわかない。このような暗澹とした文章を書いても、それが威力をもつようには思えないからだ、というのが理由だろうか。威力というのは、言葉が言葉の遣われ方を動かす機能、と捉えている(思いつきですが)。言葉系のそとにはたらきかける言葉が、「きをふし」とは無縁なのだ。それは原理でもある。

何を言っているのかわからない、というのが、この文章の健康な読み方です。よくわかる、あるいは、わかりたい、と思ったかたは、申し訳ありませんけれど病気です。通院してください。ここは病院。僕は看護師。この世界に医者はいない。

実に困る!

なかなかおもしろい文章をかけたと自賛したいのだけれど、これは「中二病」という言葉あってはじめて書けたものなのだ、ということは自戒しておきたい。さらに問題なのが、おそらく、いやきっと、「中二病」という言葉の用法を誤っていることだ。望ましいのは、「中二病」および「高二病」という言葉を取りやめ、説明的に書くか、新しく造語することだ。説明的に書くというのは、第二文「物語や思想に影響を受けてころころと世界観をひねくりまわすことを避け」、「本当に大切なインスパイヤまでをも固めてポイする極端な防衛」のことだが、どうにもインパクトに欠ける。かといって、適当な造語をするのも難しい。もちろん「中二病」の定義にこだわるひとはそう多くないだろうから、このような蛇補足はすべきでない。こういう言い訳をしたがるのが、僕の短所であるな、と、大学生活を通して思うのです。話が大きく逸れましたよ。わかりますか。わかりません><

2006年05月10日(水)

[朝][大学][こころ][身体]

【きょうの朝】

事実として、八時三十分に起床。しかし、時計に目を向けて九時三十分と勘違いする。十時に家を出ることは認識していたので、焦る。ここで論理的な思考により問題を解消する。

  1. たしかに目覚ましをかけた。
  2. 目覚ましは九時にセットした。
  3. 目覚ましを止めた記憶はない。

以上の根拠により、認識に誤りがあることを確信する。そこで時計を見直して正しい認識を得た。

そして二度寝する。

九時の数分前に起きる。

ここでおれはとんでもない間違いを犯してしまった。目覚まし時計のスイッチを切り、しかしベッドでごろごろしていた。次に起きるのは九時三十分だった。

あーあ。けれど、焦りはなかった。(この不思議は一考に値する)

宿題を済ませていないという点を除いては完璧の状態で、何の問題なく通学した。

めでたし、といきたいところだが、ここで警戒しておくべき可能性がある。第三の根拠、目覚ましを止めた記憶はない、ということについてである。

ところでいま、エアコンを除湿モードで動かしている。快適なこと、この上ない(^ω^)

目覚まし時計が鳴ったので起きる、目覚まし時計のスイッチを切る、二度寝する、そして起きる。このとき一切の記憶が失われているならば、第三の根拠は効力をもたない。AはBであるかもしれないし、Bでないかもしれない、というほどの意味しかもたない。

こころとからだの違いを、空間的な制約があるかどうか、と捉えるなら、手が届く範囲に置かれた目覚し時計は、こころに包括された存在だ。その目覚し時計が無意識にまで沈み込んだとき、目覚し時計をこころから排除し、からだに対するはたらきかけ手とする必要がある。からだという不自由が、こころのもちうる本当の自由のために大切なのだ。

【きょうの大学】

ねぎらいの言葉は、本当に苦労したひとのために送られるものだ。苦労から逃げて罪悪感を積もらせる僕が、ねぎらいの言葉のおかげで救われる思いをすることは、社会的に好ましくない。個人的には、都合がよい、嬉しい。

責任が自分に返ってくる、という言い回しには兼ねてより違和感を感じている。「自分→自分」という閉じた領域のなかで、責任という「社会」に基づいた概念が入り込む余地はあるのか、という疑問による。大学生は自由である。ただし、責任が自分に返ってくる、あるいは、なぜなら、責任が自分に返ってくるから、いいや、そういう話ではない。大学生はただ自由なのだ。

本を読んだら賢くならざるをえない責任を負うのか。ひとを助けたら感謝されざるをえない責任を負うのか。ばかばかしい。僕たちはただ自由なのだ。

そういうインスパイヤを与えてくれた先生に感心する。ここで言い訳ておきたいのは、先生は前述のような話をしたわけではない、ということだ。以上は僕にとって都合よく嬉しいことを私見で着飾って言葉化したものだ。浅はかであると感じられたのなら、それは僕のせいである。

2006年05月11日(木)

[人間][感情][価値]

無知の無知

知らないことだらけ。わからないことだらけ。

べつに学業の話ではないけれど。

覚えることが苦手なのかもしれない。したがって紹介に際して不都合が生じる。

これと対照的なのが、サイト運営者のかかるはしか、生活ネタ化症候群である。観方が豊かになるのであれば、実に喜ばしいことではあるまいか。

ちかごろの価値観に短所を挙げるとすれば、「おもしろい」ということに対する考えがあまりにもぞんざいなことである。おもしろさは、そもそも物事に内在していて、それがだれそれの主観においておもしろいかどうかは、相性の問題でしかない。これは、おもしろさの追求を放棄することである。さらに、ひとの趣味を軽んじる危険な思想もはらんでいる。

どうせきみにはわからないだろうけれど……。

おい、おもしろさは本当に孤独か。それと、わたしが、二人きりで向き合ったときに決まる占いが、おもしろさというものなのか。

おもしろさを、

どれも、これも、とても強い言葉だ。愛しているなら、ひとに押しつけてやってもいい。合わせるために、おもしろがるふりをしたっていい。そんなもん、どうせ、おもしろいんだおもしろいんだよ。おもしろいんだろおいおもしろいだろ。喜んでるやん、ほんまは。知らなかったんだ。知る気もなかった。おもしろくも思わない。でも、あるんだよ。そこにはおもしろさなんだよ。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ひとを嫌いでごめんなさい。なのに好きでごめんなさい。依存系のツンでれなんておれのことなんです。ツンもでれもない溶けて液化したこころが逆説的にツンでれなんです。詭弁です。壮言です。ツンでれは関係ありません。嫌いなのに。好きなのに。こんなのおかしいよ。論理的誤謬であるのに。

知りたくもねえ、触れたくない、離れて、ください。切断します。孤立と依存は同義なんです。違います。閉じた人間関係はもはや孤立であるとか、そういう話とは全然に違います。もっと作為的に抽象した結果みちびかれる屁理屈です。秘密です。

ところで先日、SHOP99という百均でりんご100%ジュースを買いました。これはよいものですね。僕は薄味の飲み物が好きなので、氷を入れてしばらく放っておいたものは、冷え冷えになるのもあってなおグッドです。子どものころから「水割り」という物体および概念に疑問をもっているのですが、これも似たような機能をもつのですか(これには注釈が必要です。いまほど辞書検索するまで、僕は「水割り」を「でっかい氷」のことだと思っていました。どうやらそうではないようで)。でも、お酒はハタチになってからなので、まだわかっても仕方ありません。

99円に消費税がついて104円です。詐欺ではありませんことかしら。

百均にはいろいろなものがそろっています。とくに食料品が好きです。おかしもいいですね。ホップコーンが豆(?)のままで売られているのですが、あれなんかは楽しすぎてもはや食べ物なのかおもちゃなのかわかりません。デフラグをながめるのが好きなかたはおためしください。これ前にも書いたっけ。

2006年05月12日(金)

[本屋ちゃん][導ベ栞リ]

ああ、この素晴らしい人生!

ソーセージを炒めて、こんにゃくを焼肉のたれとかで焼いたもの。缶詰のさんま蒲焼(百均)。ごはん。のり(百均)。爽健美茶をパクったようなパックのお茶。こんなにへたれな食卓。こんにゃくステーキなどと名づけても仕方がない。

缶詰のたれでこんにゃくを焼けばよかったかもしれない。キャベッチもついでに炒めておけばよかったかもしれない。

すてきな歌を聴きながら味わう食事は、いや、この空気。生きる喜び。掛け値なしでこの言葉を放ってもいい。

ちなみに、メグメル。僕は歌の良し悪しを判断する見識はもたないが、言葉の好き嫌いについては勝手だ。この言葉が、語感が、とにかく不思議だった。よくあるひらがな四文字とは一線を画する字面。なによりも先に言葉。中身の良し悪しなんて、二の次だ。

ググったところ、語源があるようだ。え、みていない。忘れた。

ちなみにCLANNADはまだ数分しかやっていない。メグメルの活きる文脈も検討がつかない。ただひとつの言葉として、僕にはあまりにもすてきすぎるのだ。

この幸福のなかで、新しく命を宿すもの。

うんこ。

いまは、そのときのためにある。素晴らしい食事は、気持ちのよいうんこのために。どんな幸福も、気持ちよくうんこしてお終い。この時間は、うんこタイムのために。

そうして時を経て、ひとびとはうんこに対する絶対的な崇拝を掲げた。哲学はもはやうんこ学と名を変え学者たちの頭を駆け巡る。人生論、幸福論、だれもが抱く素朴な、けれど真摯な思いはうんこに埋め尽くされた。

ブログ界ではうんこ論が飛び交い、何度も繰り返される不毛な戯れに多数のブロガーが命を掛け廃人と化す。うんこ専門ニュースサイトは熾烈な競争のなかで、羅列うんこ型、言及うんこ型、まとめうんこ型、精選うんこ型、萌えうんこ型、画像うんこ型など、さまざまな活路を見出す。

世界はもはやうんこだった。うんこに絶望するもの、うんこに挫折するもの、うんこを怨むもの、うんこに依存しツンでれるもの、うんこに倒錯した愛情をいだくものは、しかし確実に数を増していった。うんこ医学はまだ歴史も浅く、これらの症状に対する有効な対処法も定かでない。そうやって

NHKの集金UZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE。

なんでいまくるの!!!???

せっかくいまうんこだったのに。

テレビおいてねえよぼけ!!!!!!!!!!!!!!!!

でも契約してカネ払ったんだけど、なにやってんのおれ!!!!!!!!!!!!!

そうやって、うんこ非うんこの格差がってもうどうでもいいよ……。

まぢどうでもよくなった。NHKは糞。死ね。

いま電話しました。お金も返ってきそうです。戻らなかったら殺す。

おれが悪いのに。

すべては糞になる。

でもやっぱ、続く。続けたい! メグメルを聴きつづけているいま、そう思う。ガチで、いや、ガチでって言葉は好きでないけれど、これはよいものですね。次回! 「カリスマうんこさん」

Inspired by ekken Family and Andy Mente.

【導ベ栞リ】

【きょうの本屋ちゃん】

きょうやっと図書館の利用者カードを作りました。この図書館に通うのは何度目かなので、そろそろ館内の本がみえてきました。早速、六冊ほど借りました。本屋についての本を三冊、ネットとか心理学とかそのあたりのを二冊、清水義範の小説を一冊です。図書館で本を借りるのは本当に久しぶりですよ(受験期は利用していませんでしたから)。いま、こんな感じです→(^ω^)

2006年05月13日(土)

[感情][物語][導ベ栞リ][ひきこもり]

うとうとメグメルごろごろ

先日やっと学部指定のノートPCが配布された。何が良いかというと、ベッドのそばにおいて寝ッころがりながらアニメを観られることだ。うとうとしながら映像をみるのは心地よい。ときには眠ってしまうが、そこでエンディングが流れているとなぜかとても感慨深い。

中学生のころはよくラジオを聴いていたのだが、このときも途中で眠りに落ちることが多かった。そのことに気づかず「なんで音楽ばっか流れて番組始まらんの」という不思議体験もした。一方、「ああ寝てたのか」と気づいたときに流れている音楽は、天にも昇るような恍惚を味わわわせてくれた。こういった気持ちを「感動」とよぶのはずれている気がする。けれど感動に並ぶ素晴らしい感情であると思う。あるある?

あいかわずメグメル。まるでそれ。なんて名前をつけたらいいんですか。きょうの夕食はツナマヨパスタハッシュドビーフもどきかけ+ツナマヨトースト。材料は、パスタ(百均)、ツナ缶(百均)、ハッシュドビーフの固形ルー(百均)、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、食パン(百均)、マヨネーズである。ツナマヨ祭といっても過言ではない。ツナマヨトーストには疑念をいだいていたが、いざ口にして数刻、ツナマヨサンドという食べ物を思い出し、ならおいしくないはずがないな、と落ち着く(知識は五感を凌駕する。まさか)。

きょうは本屋にお出かけしようと思っていた。八時半に目覚ましをセットし、いったんその通りに目を覚ます。枕もとには画面を閉じたノートPC(笑) いっそ枕にしてしまえ。さて、PCを脇にのけてごろごろする。案の定、寝る。ごろごろごろごろごろごろごろするのはとても気持ちがいい。きょうはひきこもろうと決心する。

本日もミッションHIKIKOMORIをコンプリート。あしたはきっと、本屋ちゃん!

【導ベ栞リ】

2006年05月14日(日)

[感情][図書館][本]

12日の日記で「本がみえてきました」という言い回しをさらっと放ったのですが、この前提となる日記をアップしていないのを忘れていました。日付が不明なのでスルーしていたものです。せっかくなのでアップしておきます。いま読み返したところ、どうやら依存系のツンデレという言葉もきをふし的にはここが初出のようです。これはうっかりさんです。

無題

どうもおもしろいことを考えられない。しかし、おもしろいことを考えるとはどういうことだろうか。考えることが楽しくてわくわくする状態は、おもしろいことを考えている結果であろうか。それとも、思考中における私的な感情は、考える内容のおもしろさとは切り離して考えるべきであろうか。たしかに客観的には無価値だけれど、そもそもおもしろいという事柄を主観から断ち切る必要があろうか。話が逸れている! 総員離脱!

こういう話だ。僕は苦しみながらおもしろいことを考えるのか。そういうものなのか、ちくしょう。あるいは。

ちかごろ、考えていない。考える道具はこういうかたちをしている。「?」「?」「?」

HAHAHA。くそくらえだ。めんどうに過ぎる。

なんですって。いいえ、そんなことはありません。このような日記は、まるで何も考えていない。言葉化はしても説明化をしていないのだ。言語化は思考の具合をいかようにも変えることができる。ちょっとふつうじゃないかもしれないけれど、実に簡単なお戯れなのです。

ところで、依存系のツンデレってのは、ほんと、脳みそとろとろになる。素直になれない系のツンデレはもっとも典型で一般にも受け入れられやすい趣向であると思う。ところが(「ところで」とミスタイプした。一字の過ちで進む道が大きく外れる)、依存系はどこかヤバい。きわっきわじゃん。とにかく気持ちが悪い。だから好きだ。

うそです。空想です。依存系のツンデレなんて知りません。「あたしあなたがいないとダメなの」というやつですか。それならば、かなり一般的な気がします。もっとヤバいのがあるような気がするのです。それではない何かです。それを空想して気持ちを悪くしました。

焼肉のたれを買ったのですが、控え目に言って、おいしくありません。失敗しました。

老化を感じます。言葉が溢れてこない。もうずっとこのままなのではないかと予感します。絶望ではありません。そも言葉を溢らすことが無茶な話です。それは、やり方ではありません。やり方として無理があるというより、やり方ではないのです。やり方を身につけて効率や精度を高めるのは、大変に賢い方針です。そもそうすべき、とさえ思います。ですから、みちびきといえます。冗談では、ありませんけれど。

言葉には音があります。音は、響くものです。言葉はひとに響きます。聞こえないふりをすることはできますが、響くという事実は避けようがありません。そこに言葉の力があると思うのです。もっと自信なくいえば、そこに言葉の効果の一部分があるのです。

絵画にも音がありますし、景色にも音があります。解釈を意図することは、ふつうありません。言葉に対しても、それでよろしいではございませんかと思います。音は響くことで機能し、効果をもちます。しかし意味はありません。

言葉の遣い方を間違っていることは、どうやって判断すればよいのだろうか。上記の大部分は、明らかに言葉の選び方、用い方がおかしい。僕からみて、間違っている、と判断することに戸惑いもない。けれど、どこかのだれかは称えよう(いないのなら、僕が称えます)。それでも、間違っているのだろうか。そもそも、間違っていることに、何の意味があるのだろうか。何の意味もないことが、間違っていることなのだろうか。

言葉遊びばかりで何も考えていないのにお気づきだろうか。これがただの言葉化です。

100均でポップコーンを買いました。ポンポンと弾ける様子をみているのは飽きないものです。デフラグの進行状況などを眺めるのも好きです。

仏教か何かの銅像か何かで、ひとの口から言葉が飛び出ているものがあります。空也でしたか。あれはきをふしですね。あれがきをふしです。具現化するなら、ああいうものです。きょう発想しました。思いつきです。それにしても、あれはなかなかシュールだと思うんだ。

本屋にいってもあまり楽しくないことを自覚する。以前のように新書が輝いてみえない(そんな「以前」は怪しいものだが)。図書館も、本がみえない。「本がみえない」という言い回しは奇妙だけれど、「館内を把握できない」というほどの意味だ。通い慣れた図書館の最適化性(このような造語しか思い浮かばない)を認識する。本屋を育てるという言い回しがあるが、これは本屋に養われることに相補する(「に相補する」といういかがわしい言い回しを好むのは、いいかげん、きをふしである)。「最高のツール」は、存在するものにあらず。道具は身体の延長、拡張であると捉えることができる。空間に対してもいえる、かもしれない。つきつめれば、僕は、図書館になる。僕は、本屋になる。あの図書館を完全に把握した僕は、もはやあの図書館そのものなのだ。そのとき本は手に取るように、みえる。文字通り、手に取らなくても、だ。それらは輝きをもって僕の瞳に突き刺さる。……これなんてファンタジ?

2006年05月01日(?)

2006年05月15日(月)

[感情][詩][本屋ちゃん][きをふし][大学生]

きをふし問題

きをふしにまつわる詩を書いたのだけれど、パソコンがフリーズしてメモファイルごとあぼんした(幸いにもバックアップはあったので、大部分のメモは無事である)。

なるほど、記録しないほうがよろしいこともありましょう。克服につなげたいという意志があるのならば、なおさら!

ただ、消し去るには惜しい言い回しを断片的に残しておきます。うろ覚えなのでそのままではありませんけれど。

(前略)接続未確認。あらゆる中枢に断絶。きをふし→/→言葉。きをふし→/→僕。必死に必死に僕→→→→→→→きをふし。しかし現実、僕→///////→きをふし。(中略?)

張り巡らされた樹の根の末端。絡み取れ。ぶっこ抜け。スイッチはどこですかありますかありませんかもしもしもしもしもしもし。(後略)

見ればわかりますが、これもゲシュ爆の一種です。(ここには書いてありませんが)このまえのゲシュ爆と同じフレーズを言葉を代えて転用したりもしました。今回のは、しかし、僕にとってかなり切実なゲシュ爆です。記憶の焼き写しなどをお見せすべきではない、と判断しました。ごきげんよう。

【きょうの本屋ちゃん】

処分セール品のため、二冊600円で購入しました(^ω^)

ヨイコノミライ! (1)Seed!comics: 本
『ヨイコノミライ!』(1)

ヨイコノミライ! (2)Seed!comics: 本
『ヨイコノミライ!』(2)


おもしろい!

気持ち的にはギエエエエエエエエエエエエエエエと叫びながら、顔はにやにやにやにやにやにやしている。おれって病んでるな、と思わせてくれる作品。

悶える。こころのバイブルにする。

第三巻も発売されているよう。出版社倒産により未完。上等だ。

ヨイコノミライ! (3)Seed!comics: 本
『ヨイコノミライ!』(3)


【きょうの大学生】

人間。哲学。世界。興味。好奇。言葉。感情。ごめんなさい。ありがとう。

2006年05月16日(火)

[表現][きをふし][個性]

きをふしシステム

こんなに、おもしろそうだったはずな夢も、いつだったかおもしろい夢をみた、という記憶に包括されよう。きょうだからかろうじて個別。いまに守られた思い出。あしたのために、捨てる。

この夢、および睡眠、起床などの充実具合は、もはや不思議体験といってもよい。なるほど、宗教や東洋の神秘にあこがれるひともいよう。

からだが軽いです。これがおれの無意識の成す無為ですか。そう、言って!いるんですか? 僕ってなんだろう。きをふしを製造する工場。無意識を汲み取る受け皿。聞く声、放つ言葉。こんなに魅力的なもの(きをふしに関してはナルシストですから)に挟み撃ちされた僕という媒体は、いったいなんなんですか。

わっかんねーよちくしょう! ばーかばーか!

媒体? ばーろー!

社会っていう枠組みで人間を捉えたとき、個性っていう概念は発生しない。人間の文字通りカタマリである組織が、やっと個性をもつ。このとき、組織に組み込まれただけの人間は、いったいなんなのか。なんでもねーよ。社会っていう発想のうえで成り立つ連想としての妄想だ。

個性なんて考えるのは、そもそも視野が狭いんだ。狭めなきゃ、個性なんてぽろぽろ崩れて消えていくからだ。宇宙をみてみろ。そのどこに個性がある? スイキンチカモクドッテンカイメイ?

あーあーあー。「どこに個性がある」なんて意味ありげで思わせぶりな言い回しをなんの意図もなく軽率に用いるのが僕の悪い癖ですよまったく。考えるだけ損である、とは、しかし思いません。それなりに意味は、この意味という言葉も微妙なのですけれど、ありましょうよ。きをふしは読み手に恵まれていますからね。

ちょっと冒険した抽象だけれど、世界はシステムで成り立っている。個人の個性を自覚し認識し合えるシステムも、すこし階層を移れば「実はない」のだ。

だからなんだって、僕という存在を「きをふし」とか「無意識」とかいう要素を交えた複雑なシステムとして捉えたとき、僕の自我が耐えられるわけないだろって話だ。なんですかこのマッチポンプ。

誰でもない自分だって、社会の歯車だって、観方によっては「実はない」のだ。さて言葉遣いがおかしい。「ない」けれど「実はある」と言い換えても差し支えないのだから、安全に「あるかないかだ」と記述するのが好ましい。ああーぁ、いよいよ無意味になってきた。消火完了。お疲れ様でしたー(^ω^)

2006年05月17日(水)

[きをふし]

参考:個人WEBサイト文化研究所 〜本当に訪問者が知りたい20の質問

1.サイト名とそのアドレス、あなたの希望する呼ばれ方(ハンドルネーム)についてお答えください

ごきげんよう。

このサイトは「黒板ぽ」といいますが、「黒板ぽ」でも差し支えありません。さいきんでは「導栞」という名を騙りますが、さらに「導ベ栞リ」でも結構です。「映す硝子」という名は気に入っているので、このままどうにもしないわけにはいくまい、と思います。きをふしなかたにとっては、永遠の「きをふし日記」でございましょう。

ハンドルネームは「きをふし」といいますが、はたしてこれをハンドルネームという範疇に含めてよいものか、はなはだ疑問です。これは客観的には些細な問題なのでさておき、希望する呼ばれ方は、どのようなものでも結構です。「しをふき」や「めけまこ」でもよろしいですし、無難に「きをふしさん」「きをふしサン」「きをふしくん」「きをふし君」「きをふしたん」「きをふしタン」「きをたん」「きをちゃん」「きをくん」「きをふしお兄ちゃん」「お兄様」「お兄ちゃん」とするのもすてきです。

「きをふし」という言葉を遣うときには注意が必要ですが、これを意識するひとは世界に二人ほどでしょうから、がぞたんなどはふつうに「きをふし」という人称を用いればいいと思うよ。がぞたんはニュースサイトやめれば?

間違っても、僕のことをうんこさんなどと呼んではいけません。

2.あなたのサイトがどんなところか、一言でご説明ください

個人ニュースサイトです。kwskは、羅列型個人ニュースサイトであったり、言及型個人ニュースサイトであったり、雑記型個人ニュースサイトであったり、まとめ型個人ニュースサイトであったりしますが、その実態は、個人ニュースサイトではありません。まがうことなき日記サイトです。

取り扱う分野はサイト論が重きを占めています。いわゆるメタな世界です。kwskは、個人ニュースサイト論、メタサイト論(サイト批評批評)、文章術、コミュニケーション論、情報意味論(?)、受験哲学、萌え論、馴れ合い、などですが、その実態は、サイト論ではありません。おしなべて日記です。

僕、日記を書いているだけです><

日記で書く内容は、悲観、問題、解決、感情、表現、言葉、大学、読書、身体、価値、意味、情報、乙女、などについて、また無視できないのが、きをふしに関する諸問題とそれに対する悲観あるいは解決です。これについては、きをふしには大変に切実でありますけれど、あまり読み手のかたには喜ばしいものではございません。

「導ベ栞リ」については、おおよそ字義通りの意味合いです。アリエナイ送り仮名を振ってありますが、字面に対する趣味の都合です。今後にご期待しないでください。

3.このサイトへのリンク、サイト内各ページへの直リンクについてどうお考えかお答えください

批判する場合、ただ一言で「うんこ」とか「気持ち悪い」みたいな小学生をするのはやめてください。殺します。

このサイトに対するハイパーリンクの作成、およびそれに伴う言及、さらにはそれを伴えない恥じらった言及も、とても嬉しいです。ただ、僕があなたのサイトをみてないとそれは伝わりません。以前ほど僕はサイトを数多くみていないので、大いに危ぶまれるところです。ですから、これは上級者の成せる技です。

なんらかのやり方で、このサイト、あるいは「きをふし」を再構築してくださると、なお喜びます。もれなく惚れます。かなり敷居が高いですが、その手のひとにはチャンスです。

4.「サイト上で訪問者にこれだけは絶対にして欲しくない」ということをお答えください

そも僕のサイトで読み手のかたが何か振舞うこと自体、不可能なのですけれどね。不正アクセスはやめてください。

5.このサイトを運営していく上であなたが何を一番重視しているかについてお答えください

脳みそとろとろ。

6.このサイトの更新頻度についてお答えください

おまえは心拍のペースを四六時中意識しているのか?

7.1回の更新にかかる時間についてお答えください

暴走すれば「4000字/45分」ですが、ふつうありえません。だいたい700〜2000字を1〜3時間ほどですか? そも「1回の更新」がかなり多様なので、適当な解答はできません。ただいえるのは「かなりの時間」です。

ついでに興味深い話をしますと、ひとに対するメール、コメント、言及などにはかなりの時間を費やします。べつに思慮深いとかそういうのではなく、とにかく書き直さずにはいられない、と感じるのです。言葉がみつからない。長い。短い。浅い。重い。どうやって話しかければいいんですか。

そんなこんなで、僕はくだらなくて淡白なコメントをすることが多い(「しない」ことも多い)のですが、ちゃんと考えています。そんなこと伝わりようがないので、ここで明言しておきます。ちゃんと考えてます。考えてます。一方、そんな僕からわりとしっかりしたコメントがもらえたのなら、喜んでください。大きなお世話ですね。

さらに申しますと、僕は日記書きですから、「1回の更新には24時間かける」と答えるのが一番立派かもしれません。しかし、この返答は質問の意図に反するものですから、ここではこれ以上述べますまい。

8.現在の訪問者数と、今後希望する訪問者数についてお答えください

2006年05月現在、「100PV/day」です。個人ニュースサイトとして栄えていたころは「300PV/day」でした。たまにサイト論がほかの個人ニュースサイトに取り上げられたときは、数日で数千PVほどいきましたでしょうか。初めてのときはたまげましたよ。

今後の希望としては、高校生、とりわけ受験生の読み手が欲しいです。現状では(受験生にとって)望ましくありませんから、どうにか傾向を変える必要がありますけれど。

「お、きをふしが読み手を想定している」と気になったひとは、鋭いですね(笑)

9.あなたにとって訪問者はどんな存在かお答えください

物好きでいぢわるな怖いおぢさんです、というのは冗談で、優しくて賢いひとたちです。みんなみんな、そうなんです。

10.閉鎖の予定についてお答えください

全データの削除というのはしたくありません。したとしても、個人的に対応してきをふしアーカイブ(仮)をお送りできるようにするつもりです。

知人にばれた(ばらした)ときの対応ですが、とくに考えていません。どうなりましょうか。まあ、安心しておいていただければよろしいかと思います。

11.あなたの性別についてお答えください

乙女です。男性です。

女の子と女の子、あるいは女の子たち、というのが好きです。しかし姦しいのはいただけません。たとえば僕は図書館探検部(『魔法先生ネギま!』)が好きです。さらにネギまでいうなら、「このせつ」はもちろん「のかのか」にもすてきを感じます。「ぱにぽにだっしゅ!」の『ガールッピ』という歌も好きです。女の子は朝が足りないのです。

12.あなたの生まれた年代、できればズバリ何年に生まれたかお答えください

1987年です。ゆとり教育の第一世代です。

13.現在のご職業について差し障りない程度にお答えください

情報学部の学部生です。

14.出身と現住地について差し障りない程度にお答えください

福井出身です。福井弁なるものをしゃべる嶺北(越前)ではなく、関西弁ちっくな言葉をしゃべる嶺南(若狭)のほうです。

現住地は『苺ましまろ』の地です。かわいいなんてそんなこと言っちゃダメです。

15.振られたときに得意な話題、分野についてお答えください

そも振られることが苦手なので、答えようがありません(ダブルミーニング)。

16.あなたが一番良く使っているパソコンの性能、接続環境について分かる範囲でお答えください

マンション型の光回線。速度は十分だがポート制限あり。たまに接続が切れて再起動しないと直らないのは仕様かしら。大学のネット環境はよく整っているほうだと思う(速度は知らないけれど)。

デスクトップPCは富士通 FMV-6000CX、Windows2000、PenV1GHz。キーボードはマイクロソフトのスペースキーがやばいやつ(それ以外はおおむね満足なのですが……)。大学でも使用するノートPCはPanasonic レッツノートW4

17.毎日あなたが閲覧するサイトの数をお答えください

2006年05月現在、15サイトほどでしょうか。さいきんは「はてなブックマーク」の「お気に入り」などが便利なので、「サイトの数」という概念はかなりあいまいですね。

18.Webを閲覧し始めた時期についてお答えください

はじめてネットに触れたのはたぶん1998年ごろ(小学五年生)。本格的には、2003年の夏ごろでしょうか。現物がないのでおそらくですが、「ネットランナー」の2003年09月号および10月号にかなり影響を受けたと思います。きっかけは「せかいのまんなか」ですね。

残念ながら「ムーノーローカル」も「俺ニュース」も現役では閲覧していません(なぜか「2003 Winter」は印象に残っているのですが)。いわゆる「テキストサイト」界隈のこともあまり詳しくありません。

19.初めてサイトを公開した時期についてお答えください

いわゆる「プロフィールと掲示板だけ」なサイトは中学生のころに開設したことがあります。それでも「メル友」ができました(笑) 楽しかったです(笑)

このサイトをはじめたのは2003年11月16日です。一応、『教科書(ry教科書』の年表にも載っています。ありがたいことです。

20.影響を受けた or 大好き or ここが閉鎖したら落ち込むかも、というサイトがありましたらお答えください

項目不同、順不同、気分次第でハンドルネームまたはサイト名を答えます。

まなめさん、香陸さん、世界は称賛に値するてとさん、山田相子さん、はしごたん、真性引き篭もりやえさん、駄文にゅうす天野さん。

これ、実は、かなりの人数を削りました。ごめんなさい。

2006年05月17日25時20分。そろそろシャワー浴びて寝ますね。ごげきんよう。

2006年05月19日(金)

[言葉][表現][意識][過去][日記]

ぐちゃぐちゃに、してやんぜ?(←藤沢とおる風)

読み手のこころの奥深くに踏み込む言葉とはどういうものか。ひとの気持ちなどわかるわけがない。

夜のプールが好きだ。もちろん萌えの話だ。「そんなの妄想だろ」と一蹴しないでいただきたい。僕の脳みそには、たしかに夜のプールが沈着している。

あるひとの書いた、美しい月を称える文章が琴線に触れたとしよう。そのとき、「美しい月」とは、そのひとの言葉というよりも、自分自身の脳みそにあるものだ。

「時間感覚を揺さぶる文章」という言い回しをしたことがある。これは誤解されやすいだろう。たしかに「気づけば二時間かけて小説を読破していた」というミクロな時間感覚の揺さぶりもあるけれど、ここで言いたいのは、「ああ、あの若き日の青春がよみがえるようだ」という、脳みその改竄である。若き日の青春という過去を、過去として読み手に植えつける。あけすけにいえば、僕は「時間感覚を揺さぶる文章」を文字通り「洗脳」という意味で遣っていた。

価値、という視点で眺めたとき、僕にとっては等価に思える(問.何と、何が、であるか)。

静かに波打ち月明かりを散らす夜のプール。

薄雲を消し飛ばすごとく映える美しい月。

スイミングスクールで起きた停電といえばなんと無粋。ただの満月の夜といえばなんと野暮。

なるほど、言葉には記憶を美化する力があるのではないだろうか(きをふしが「あるのではないだろうか」という冗長な評論口調をあえて用いるということは、相当に自信がないことの表れなんです)。

そうであるからといって、どうもない。「実は」という発言が、実はたいしたことない、というのはよくあることだろう。ここではきをふしのいうところの「言葉化」の「力」が関係する話だが、自分でもよくわからないので省略。

スクール水着を着た女の子、いてもいなくても関係ない。月に故郷をもつ電波な女の子、関係ない。言葉によって彼女たちが表れるのならば、それで価値は満たされる(「表れる」という表記には悩みました。もはや「現れる」のでしょうか)。

そして彼女たちは僕の脳みそに沈着する。僕は彼女たちとの「思い出」をもっている、というか、実はもっていた(現在完了?)。おいおい、ひどい妄想だなこりゃ。

ま、あれよな、日記を書くのがなぜ楽しいかって、過去が攪拌されるからだ、といま僕は答えたい。いままで歩んできた道なんて、そこを振り返る瞳が日々変わっていく以上、その同一性は保たれない。振り返って、たしかにありつづけるのはなんらかの景色。経験によろうが、洗脳によろうが、そこに広がる鮮やかな世界をみつづけたい。

(※見出しにリターン)

2006年05月23日(火)

[言葉][表現][日記][きをふし][高校生]

きをふし世界

高校生は古典の授業で「縁語」というものを習いますね。縁語というのは修辞の一種です。修辞とは言葉遊びとイコールです。河合塾の黒本(センター試験過去問)の解説でそう言い切るあたり、なかなか立派であるなと思いました。余談はさておき、縁語の詳しい意味、具体的な用法については辞書や教科書を参照していただくとしましょう(余談をさておくつもりなどありませんから!)。

言葉遊びというくらいですから、修辞を凝らして練り上げられた名文句は、しかしたいした意味をもたないかもしれません。けれど深みのある言葉に聞こえてしまうのは不思議です。私見を申しますと、深みのある言葉遣いは、それ自体すでに意味です(「それ自体」とか「すでに」とか、いかがわしい言い回しだから説得力に欠けますが)。なぜか、と問われても困ります。でもね、そういう観方もあるんだよ。

ひとくちに修辞といいましても様々ですが、やはり僕は縁語が好きです。実体をもった世界が構築されるようなインスパイアを得ます。なにそれ、と思いましょう。「実体をもった世界が構築されるようなインスパイアを得ます」(笑) なにそれ(笑) あまりいぢめないでください。

縁語が連鎖しつづけるあいだ、世界は連続する。はかないものに違いはなかろう、けれど、というはかない期待。言葉にかたちはともなわない。大切なことは、たいてい観念であるから。だから縁語はありえない。それがそれであるはずない。実体をもちえない。というより(この「というより」の論理を理解できるかが、きをふしであるかの重要な分かれ目です)、言葉はかたちではない。だから、縁語もかたちではない。実体を、もちえるとかそういうのではなく、そも実体でありえない。

マンガにならないノベルスのバトルシーン。それは言葉によって与えられるから。なぜマンガにできないのか。そこに壮大な縁語がはたらいているのではないだろうか。空想物語とは一種の縁語系ではなかろうか(「なかろうか」という淡白な評論口調は、この場合、むしろ自信による)。

文法的な崩壊は記述の機能を崩す。と、話が逸れた……。

退き際を誤った。ごきげんよう。

問.

わりと真面目な本文(?)にも関わらず、「きをふし世界」という突飛な見出しを用いて何を伝えたかったか、きをふしの視点に立って(!?)考えてみよう。

解答例:これはひどい。


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