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きをふし日記:2006年03月

とてもきをふし:2006年03月

2006年03月03日(金)

[感情][交流][文化][形式][死][言葉][冗長][無駄][意味][高校][級友]

本日は卒業式であった。起立したり礼したり着席したり国家斉唱したり校歌斉唱したり来賓祝辞があったりする例のやつである。つまらない。堅苦しい。眠い。寒い。最悪のイヴェントだ、というのが、いや最悪は言い過ぎにしても、一般的な認識です。しかしなかろう。僕がそんなことを思うのは。

これは儀式だ。ゆえに形式を重んじる。慣習を維持することで中身が抜け落ちた。あまりに生真面目すぎる伝言ゲームが、今日の儀式をつくりあげた。意味のない形式にこそ意味がある。それは別段、非難に値しない。そう思う。

かくかくかくかく、きゅきゅきゅきゅ、中履きを体育館の床に摩り付けて何をしているのだろう。何であるかなど構わない。そういう仕来たりである。きれいだ。いちいち、いちいち、貴様は一体に何に向かって頭を下げているのだ? その無駄らしさこそが有用性だ。慣習に中身はない。伝統は意味もなく受け継がれる。

無駄な行為。その暇は暇だ。それでいい。

僕はたぶん、ら行の発音が苦手なほうである。だから、ら抜き言葉のほうが流暢に口に出せる。音の流れの美しさでいうなら、ら抜いたほうが好ましい。というか、基本的にどもる。だから何もしゃべらないのが一番美しい(笑)。それはともかく、それでも、僕はりんごを食べられます、であるべきか。無駄ではない、と思う。無駄に無駄でないものがあるからだ。無駄な暇は暇で無駄になる。でなきゃ儀式じゃないもん。

亡くなった級友の家をクラスのみんなで訪ねた。たまたまの場所的な都合から僕が一番になった。なにがって、あれは、なにだ? 「拝む」というのか、「線香をなんとかかんとか」というやつか、それがなんという慣習であるかは知らないけれど、ああそういえばあれは「仏壇」という、それに向かってなにをするのだ。ぎゃー、と思ったね。ほんまいや。

ちーん、て、するものなの? 線香はあれでいいの。蝋燭で着火するんだよな。僕、手で線香を振って火を消したんだけど、あれでいいのか。彼みたいに、ぱたぱたと手で仰ぐのか? 線香を刺すって、まさか、この砂のような何かに以外ではあるまいな。ここにしか刺すアフォーダンスはみられない。す。拝むことはかすかに記憶していた。合掌でよかったのか。合掌、なにそれ。それなんていうシューキョーですか。本当にいいのですか。

級友たちが僕とおおむね同じような行為を繰り返していく。おそらく大過はなかった。そういうことだろう。ああ、これが文化。仏壇の意味なんて知らない。線香が何を象徴するかも。ちーん、の目的も、合掌のシューキョーも。たしかに一杯一杯だった。合掌して目を瞑る僕の考えていたことは、彼に対する何かではなく、あっているのか、どうか、という不安でしかなかった。でもそんなこと、僕以外の一体だれにわかろうよ。

なんのために、なにを。非常識な僕の偏見かもしれないか、そんなことを心得ている級友はそう多くないだろう。かすかな常識に頼りつつ、目前のアフォーダンスに身を任せて済ませた。多くも、また。無駄無駄しい。ずい、と仏壇に臨んで、手をパンッと合わせて一瞬目を瞑り、開いて、はいお終い。ささっと身を引き、次にまた、ずい。ぐるぐる。そうすれば颯爽と「仏壇拝み」(この名称が僕の限界だ)が済む。駄目だもん。それじゃ、儀式じゃないもん。

暇な暇がなければ悲しむ暇もない。感情には間ってやつが大切だ。間に意味はない。意味なんかに妨げられてはむしろいけない。だからすかすかでかちかちの形式をはめこむ。間は平坦。だから深く、鈍く来る。頃合が見計れないから、意味の到来を待つ。言葉というそれ。わかりやすいなあ。ところで、「泣こうと思えば泣ける」ということをそのとき考え、とても胡散臭い言葉であるなあと、いま考察する。おそらく「物語のすり替えをおこなうつもりだろう」ということだ。意味による泣きの解釈。かなり乱暴なやり方だ。ともあれ、儀式とはずれた話題である。

さて、死について考える。合掌して拝むことで何かが伝わるはずがない、と思う。絶妙な言い回しで「けれどまだ生きている」的な発言をすることも、言葉遊びに過ぎないと思う。僕が感じるのは、関与可能性を失った勿体無さ、こう言うに尽きる。しかし考えるに、その意味で「けれどまだ生きている」。この想起が僕に及ぼす影響は、彼からの。実質という点で、おそらく。生前、直接に関与。痕跡の始点。系の攪乱。はたして誤差とよべようか、初期値の改竄。どうしてもなく、彼からの。「けれどまだ生きている」。

考慮すべきに、僕のつくりだした「彼像」である。さすがに、他者との関わりは独りにおいても成しうる、とまではいわないけれど、近い。さてどうしたものか。あいつも? あのひとも? だれかにとっての僕も、また? それほど悩むことでもない。交流の「幻想的」な原理だ。

この日を大切に思う。

2006年03月06日(月)

[受験][大学][生活][健康][表現][文章]

来年のきみが読みたがる。

ものすごい。
病床からの京都大学受験記
眺めてみよう。
大学入試速報2006[読売新聞]
あのころのきをふしへ。
受験生のためになる忠告コピペを貼るスレ
浪人もアリかなと思い始めた
春に自分がバカにしていた大学に謝罪するスレ 2
受験破戒録カイジ
なんだかんだいって受験って面白かったよな?
がんばゆ。
コンビニの弁当って実は相当ヤバくないか?[ニャー速。](teiou雑記KU。)
13分でわかるはじめてのひとり暮らし先見の暗KU。)

いつものようにとりとめなく。

さて、もうそろそろ僕も「18歳未満」すなわち「高校生以下」の束縛から逃れます。その節はどうぞよろしくお願いします。それにしても、本当に勉強しない高校生でした。その代わりにはなりませんけれど、日記を書きました。それさえも、どんどんと独り善がりに陥りました。食らいつくあなたは宝。

ない言葉はつくればよい。世界への冒涜ともいえるこの着想で、きをふしはあらゆる表現を成しうる、と思うに至りました。これがきをふしの可能性であり、また限界でもございます。もちろん、それが一部のかたがたの娯楽に足るなら、十分に意義はあります。きをふしにとって、ですから宝。

さて、あまり関係のない話をしましょう。僕は小説書きにあこがれています。その気持ちを表現するには、「僕は小説書きにあこがれています」と書くよりも、実際に小説を書くのが一番です。しかし物語れない僕は、どうしても自己言及という脇道に逸れてしまうのです。たとえば「小説を書きたい主人公」が登場してしまいます。そういう小説もありですけれど、僕の場合、それ、しか、書くことができません。つまらない。

随筆や評論というかたちでなら書ける。と思いますから、このようなふうに書いています(というふうに書いていますが、この随筆も妥協を経て至ったものです)。芸がないなあ。しかし、はぐらかしたように書くこともできます。「実験」するのがおもしろい(のですが、忘れました。たしかに昨晩、とてもすばらしい詩を思い描いていたのですけれど)。

ですが、

割愛。

さて、こんなふうです。どうですか?(わかりません) とても「僕は小説書きにあこがれています」という記述にはみえず(当たり前です)、かつ、なんとなく物語ちっくですてき(ではない)です。ここで僕がいつも連想する知識は、「詩は言語のイメージ喚起機能を利用している」ということです。図式を立てましょう。【小説→詩←評論】−【記述→イメージ喚起←記述】−【物語→?←説明】

だから、なんでしょう。いえ、べつになんでもございません。ちょっとクッキー食べますね。

お、お茶!? お茶がない! 甘い!

失礼しました……。

ええと、そうですね。僕にとって詩というのは、わりと「それ以外の何か」なのです。ですから、精神衛生的にとても便利です。

ある時期、僕は「MADムービー」というものにはまっていました(「はまる」という言葉はあまり好きではありませんが、ほかに浮かばないので妥協します)。一口には説明できませんが、素材を組み合わせてつくるクリップ映像のようなものです。たとえば、印象に合う音楽を流しながら、美少女ゲームの画像やキャッチーな言葉を華やかに散りばめた映像です。映画の予告などがわりと似ていると思います。

あのころは創作について深く考えたことはありませんでしたが、「僕には無理だな」というようなことを実感した覚えはかすかにあります。一方で、「この文字はどうだ?」とも思いました。いえ……よく考えると、いま思います。もはや比喩なのかどうかわかりませんが、まさに、舞い散る言の葉。を、描きたい。ああん、でも無理です。映像に対する抵抗は拭えない。これは僕の趣味でもありますから、厄介です。ごめんなさい、時系列の混乱から文章が乱れています。

新しいパラグラフは、夜明け。何事もなかったかのように、きをふし。ごきげんよう。

もう、13時22分ですか……。浮かれていられません。時間に流されない。ならば時間を流すのか、とも思うけれど、時間はただあるのだ。

2006年03月07日(火)

[文章][表現][高校][乙女][日記][きをふし]

捕捉

mixi(2006年02月14日)に書いた日記を下に掲載しておく。

修正はかませていないが、補足する。煩わしく思うのが常である僕が、それでもこういうものに取り組むのは、ひとえに友人Tのおかげであると思っている。叱ることで感謝されるほどの友達に、だれかに対して僕もなるように心掛けたい。日本語が不自然なのは仕方ない、というか、「友達になる」という言い回しがそもそも違和だ。

ウェブにおいては、めったに叱られることはない。叱られたかな、と深読みすることもあるけれど、ばーかあーほ(^ω^)、と感想するだけだ。ウェブに、文字だけの世界に、欠けていることといえば、叱ること叱られることの心地よさ、なのではないかと思う。要するにこの我侭、聞いてください。ここにおいてだけは、誉めたい誉められたい僕を叱るな。

議論のほかに僕の伝えること(転載)

きょうは卒業文集のための寄せ書きを書いていた。ひとクラス分の枚数があり、たとえば僕は彼ら全員にコメントし、また僕は彼ら全員からコメントしてもらえるという、あれである。つきあい不精である僕はこういうものを煩わしく思うのが常だが、「ふつうよりは文章を書いている」という自覚と自尊から、しばらくすると熱中してしまうのだなあ、やっぱり。

非常に興味深い営みであると思った。これは、日記でない。ただの、日記でない。伝えることを前提した文章。久しく僕の避けてきた文章。彼のために、彼女のために、はぐらかすな! 伝えるために、伝えろ。自尊がそう叫ぶ。絞る。練る。編む。いいや、そんなものではない。

彼は何者だ? 彼女は何者だ? まだ弱い。僕という視点が欠けている。そうだ、彼にとっての僕とは、なんだ。僕にとっての彼女とは、なんだ。真剣に思い出す。

わりと気持ち悪い。あ、なにこれ、僕、こんな覚えとる(笑)。こんな想っとる(笑)。おいおい、実は僕、めっちゃ観察しとるやん、と気づく。彼に書きたいこと。彼女に読んでほしいこと。溢れちゃう、って、ぎゃあ、迷惑だなあもう! お決まりの文句だが、原理的にひととひとはわかり合うことができない、から、しかし、はあ、よかった。

さて、ここからが「日記書き」きをふしの魅せどころ。絞る。練る。編む。限界まで率直な事柄を、限界まであいまいな表現でしたためる。恥らう僕の照れ隠し、および! 僕というひとを彼らに伝える、構造そのものへの揺さぶりかけ。なーんてのは、言い過ぎだ。

言いそびれた、ごめん。伝え損じた、ありがとう。おおよそはこう凝縮される。ああ、そういうものか。

そして、僕はきみをこういうふうに魅ました、というファンレター。ひどくはぐらかした言葉で、きみを飾る。問答無用だ、いいか! きみというのは、それほどすばらしい。僕はきみを、そう魅ました。

もっともっと露骨に伝えるすべを、きょうび、もちろんだれもが心得ている。その胡散臭いところをも、また。だから僕たちは、そんな無粋なまねはしない。つくられた舞台。ここぞとばかりに語る。そのこころの奥底に、願わくは、僕という言葉よ、積もり込め。おやまあ、さすがに、自惚れすぎですわ、これ。

2006年03月08日(木)

[マンガ][批評][高校][大学][鬱][ツンでれ][馴れ合い][サイト論][感情][萌え][乙女][すかあと]

ここでクイズです

非常に冷めてきた。項目を列挙するにも、あれ、これだけ。そうか、気持ちだから。要素で分析するものでない。高校へ入学するときもそうだった。なーんか、みたいな。「もそう」すなわち「同じ」だ。感情の比較は原理的に(略)。あれと、これは、同じ。なんだ……不安なんだ。

サイトを運営するからには、みてもらいたい、だれかと接したい、そういう欲求が根ざしていることは否定できない。その魅力を謳ってウェブのおもしろさを伝えるサイト論も結構だ。ひとって、そういうもの、だから。だから、だけれど。ふん、僕のする日記は違うものね。べつに、あんたと馴れ合いたいわけじゃないんだから。ツンでれも、ないんだから!

これが僕にとってもっとも適した馴れ合いのやり方だから。これというのは、わかるひとにだけわかればいい、応えたいひとは応えてくれる、のは嬉しいし、けれどさらに僕が応えるかは気分による、ほどのいい加減さでよい、という。なるほど、みえない読み手はいるかもしれない。あほか。全員だ。ぜんっぜん、違う。ウェブは違う。

ここに書かれることは、僕の本音ではない。はっきりいって、建前だ。僕の本音なんて、たいていのことに関しては「どうでもいい」で済む。それをわざわざ脚色して彩られるのがきをふしだ。僕と、きをふしは、両極端だ。そして、そのどちらもが友達性の高い性格ではない。低い。ひと並に友達は欲しい。(これが「自己同一性の喪失」うんぬんとは別な話であることは、きをふしには承知であろう)

ばーかあーほ(^ω^)

散々きをふししたところで、もうすこし楽観的にみていこう。さあ、笑って笑って。ばか、違うよ(笑)。ほほえもうよ、といっているの。きみの、その顔は、まいっちゃうくらいかわいらしいからね。そうそう。それそれ。いやもう、僕、実際まいっちゃう。はにゃー。

まず「不安」という言葉、こいつがいけねえ。そもそも重い言葉だ。しかし「不安」であることに変わりはないから、ここに込められたニュアンスからだけは、顔をそむけたくないから、言葉を甚振りまた尊ぶ僕の、譲れないこだわり(性癖)だから、せめて、こう飾ってみよう「希望と裏腹の不安」だ。ああ、だれもがもっているさ。所詮……いや、なんと! それほどの! もので! ある!

もうすこし具体化すると、こういう話だ。オタクです。高校に比べて、大学のほうがオタクに優しそうな空気です。だから。しかし。実際は? どこまで僕、大丈夫? もしかしたら、ああああ、もしかしたら……。つまりはそういう程度のこと。友人Tがそういう心配を僕に話していたが、なるほど、いまさらになって少しずつ感じてくる。

いや、違う違う(笑)。ぶっちゃけ、うそ。オンナだよ、オンナ(笑)。

あああああああ、文学少女とお友達になりたい!!!!!! いっしょにブンガクしようよ!!!!!!!

ぎゃはははははははははは。壊れている、おいどん、壊れてる。情緒不安定なり。軽くヤバイ?(笑)

ていいいいうううか、女子、ジョシだよジョシ。女子大生ってさ、スカート履くの!!!??? 履きなよ!!!! 僕、スカート大好きだもん!!!!! かわいらしいし、えろっちじゃんよおおおうううう!!!!!! ひらひら!!!! ひらひらはぁはぁ!!!!! 振り向いたときにふわっと舞いあがる、すかあと。あああああああああああああ。

まあいいや。こんな僕でも友達できるよ。

解答

『最終兵器彼女』読んだ。

最終兵器彼女(1)
高橋しん
『最終兵器彼女』(1)

読了:?

最終兵器彼女(7)
『最終兵器彼女』(7)

読了:2005年07月(?)
再読:2006年03月07日

最終兵器彼女 Another love song mission 1
DVD『最終兵器彼女
Another love song mission』(1)
/(2)
OVA。観たい!


とてもきをふし

2006年03月13日(月)

[趣味][言葉][触発][創作][コンプレックス][文章][日記][できる][乙女][おとめるへん]

将来の夢は図書館島(『魔法先生ネギま!』)をつくりたいです

あまり映画やドラマやアニメを観ない趣味だったので、ごく最近に思うのことなのです。すてきな映像に対して感動するということですけれど。いえね。べつに感動って、そんな物々しい意味でなくて。きゅんとしたり、じんわりきたり、そういう程度の。きゅん。めっちゃクールな動きに、きゅん、なのですよ。不思議でっすねー。きをふし仕様おとめるへん変換回路が機能しているのでは。思いますが。

この「くーる」という言葉がどうにもいかがわしい。いえね。べつに「いかがわしい」って、そんな恥ずかしい意味でなくて。「『いかがなものかしら?』的な形容」という程度の。なんとか言い換えると「かっこいい」、漢字で書くと「格好良い」ということになるのですが、これも非常にいかがわしいです。冒頭では「すてき」と申しましたが、いまのところにおいて限界である。

さて、せめて文章ならば、と思う僕ですから、創ろう。いいえ、思いません。しかし、よいものです(「良い」の変換にはいつも困ります。お手数ですが、ここでは「よい」と発音してください)。そう遠くない昔(と書くと、あるい程度は遠い、というほどの意味合いが感じられますが、ここではわりと近いこのまえのことです)、『ほしのこえ』という作品を観ました。そのとき、まだ僕なりに「映像」と「感動」について気づきを得ていなかった(「気づき」という名詞が好きなので、やや不自然な文になりました)。なるほど、いまならば、この作品のインスパイヤ性に納得できます。しかし、僕です。

少しやり方を間違えていることを自覚します。これは例のあれとはべつなものですね。ただの冗長なツチケン節です。(いま「ツチケン節」を検索したら、この言葉のあまりの無名さに戦慄しました)

映像が感動の引き鉄になるという感じでしょうか。楽しいです。

よく悩みます。情報を扱う以外に何をしている? 脳みそをこねるほかに、はたして何を。もちろん答えることはできます。図書館に行くために自転車を漕いだり、食べ終わったお菓子の袋を結んだりします。彫刻を造ることはしませんし、クラリネットを演奏することもありません。歌いません。えがきません。走らないので転びません。跳ねないので挫きません。いいえ、脳みそをこねるなどという立派な言い回しにもふさわしくありません。要するに、ひきこもりです。

考えるに、ひきこもりであることを嘆いているのではありません。情報を扱うことの興奮はしばしば味わいます。

以前にも述べました。僕には「できる」と言えることがないのです。要するに、この話です。

暗に、この問いには的(まと)が存在しています。文脈が様々にありえますが、「社会のために」や「恋人のために」という的(まとですよ)です。

僕には日記ができそうです。しかし、意図的にすら、ですよ。的をね。外している感があります。ですから、僕は「日記」を「できる」と言えません。「ねえ、きをふしくん、わたしのために、日記、して……」と言われても、困ります。同様に、「本を読むこと」「Windows98をカスタマイズすること」などを「できる」と公言することは困難です。ましてや、書類においては、いったい。

乱脈な話をしています。パラグラフを移るごとに散歩に出たりするのが、正しいきをふしの読み方だと思います。ほら、もう、そろそろね、春ですよ。(※)

※雪ふってます。ごめんなさい。

しかし、ひとつのパラグラフにおいてさえ、かもしれません。そういうときは、ズバッと斬るのがよろしいです。僕は読み手のかたに無駄な時間を費やさせることを最大かもしれない目的としていますが、おそらく彼にとって、それは望ましいことではないからです。罠ですよ。気をつけてください。

フロッピー・ディスク。色とりどりの。

こころ的なゆとりはむしろ受験期よりも苦しい気がしますが、おにぎりを食べました。

きょうも、たくさんのことがかわいらしいです。

文のねじれは自信のはかなさの表れ、あるいは解答

『ほしのこえ』(設問中に解答が含まれていた出題ミスです。全員に点数を差し上げます)

『宇宙のステルヴィア』第四話

「ほしのこえ」The voices of a distant star: DVD
DVD『ほしのこえ』
(The voices of a distant star)

高いほう。

DVD BOOK ほしのこえアニメ―ジュ ライブラリー VOL.1: 本
DVD BOOK『ほしのこえ』

安いほう。


読んでいない作品にリンクしてしまいました。まずい、まずい。ちゃんとおとしまえつけます。おとしまえってなんですか? おとしだまの同級生ですね。やったあ。

2006年03月14日(火)

[おとめるへん][個人ニュースサイト業][言及][日記][形式][かたち][HTMLタグ][数学][大学][啓発][動機づけ][趣味][仕事][高校生][中高生]

すごく恥ずかしい出来になりました。どうか読まないでください。のそりのそりと勘を取り戻していきまっしょい。だからこそ、きょうはおかきを食べました。

久しぶりの「言及」は非常にどきどきする。おとめるへん計が針を振り切る。こんなに激しいことをするのだから、どうりでアクセスアップにつながるはずだ。立派なやり方にしろ、姑息な手段にしろ、アクセスアップというのは非常に恥ずかしい真似であると、日記書き、きをふし、思う。

数学の壁は2つある[発声練習](まなめはうすKU。)
これは非常にどきどきした文章です。「工学」における「数学」の位置づけのなんたるかを心得ました。なにより嬉しかったのが、いま僕なりにもっている「抽象化」への解釈が、なかなかの具合だと確認できたことです。素朴ながらも、実践しているだろう、ほら、ほら、と誇れるからです。
追いつ追われつ[思索の海]
言うまでもありませんが、こういう意味で「追われる」ことは非常に嫌いです。僕(「きをふし」とは言い逃れません!)における最大の弱点であると言えるほどです。こういう意味で「追う」こともよく妄想します。するだけでした。がんばゆ。僕、がんばゆ。(※)
努力は恥ずかしい事じゃないゾ★ゆとり世代 - churchillの日記 - ホワイトライオット
大学院を出てないけれど[daydreambeliever](まなめはうすKU。)
僕は理系ですから、まなめさんと同じように、なんとなく院に進学するのだろうな、とばくぜんと思っています。また、ばくぜんと「社会にでたくない」と思っています。非常に浅薄であると言わざるをえません。というか、非常に浅薄です。モラトリアム渦中の青年として愚の骨頂ともいえる発言を許してもらうならば、僕には「仕事」が向いていないのでは、とすら思います。「趣味」と斜線を隔てて隣り合う「仕事」です。
すなわち「仕事/趣味」なり。ところで、
申し訳ないと思うことすら恐れ多いとも思いますが(笑)、僕はこちらの「へいうま」というサイトを久しく読んでいませんでした。改めて「同世代のブログ界隈」に目を向けだしたのは、あのへん(あのへんです)の揉め事からです。そんなこんなで久方ぶりに「へいうま」を読み始めたのですが、すっかり同級生だと思っていました(先日「へいうま」の意味を知りました)。しかも、女性であることを忘れていました(申し訳ておきますが、僕はばりばりに男女差別しますよ)。
趣味の延長さいこう![へいうま]
さて、非常におもしろい文章ゴリ。おにいたんまいっちゃうゴリ。(きんもー☆)
しばしば耳にしましょう「趣味の延長」という言い回しにはとても力強い印象を受けます。しかし、僕にはこれが受け入れられません。僕に受け入れられないということは、「趣味の延長」を受け入れられない人間がこの世界にひとり以上いる、ということが真であること、を意味します。要するに、さきほどの「しかし」は有意義でありえます。(乱雑な説明にせめてもの補足を加えますと、僕は解決を伴えずに問題を記述する評論が嫌いです)
ここで持ち出すのが前述でもほのめかしました「仕事/趣味」の双子姉妹ですが(性格づけは各々の趣向にお任せしましょう)、やれやれ収集がつきそうにないと直感しますで、後日に譲りましょう。きょうはこれまで。それでは、ゴリげんよう。

解答

本日の解答はありません。あらかじめ「なし」などと答えたかたに満点花丸大賞です。ただし、冒頭は罠でした。

もー! なんなんなんでしょうね、これ! 日記書きでつちかった冗長な言い回しが染みついてしまっています。かたちも無茶苦茶です滅茶苦茶です(微妙な変換具合にたまげた)。<dl><dt><dd>はわりと好きなHTMLタグなので、なんとかして駆使したいですね。あと<dfn>なんかも好きです。

2006年03月17日(金)

[ぱにぽに][友達][感想][アニメ][ねこみみ][声優][藍ぽん][斎藤千和][物腰][人柄][大学][創作]

mixiに感想を数行ほど書こうとしたら膨らんだので、こちらにします。整形済みなのはそのためです。解答はこじつけです。どうみても恒例アソシエイトコーナーです(笑) 買ってください(笑)(笑)(笑)

きのうと、おととい、大学の生協に行ってお部屋を決めてきました。家具も選んで注文しました。生協のお兄さんたちは丁寧に接してくれてとても感じがよかったのですが、買い物が苦手な僕はわりと露骨にふてくされていましたごめんなさい(ママンにも)。所詮、これが僕だな、と嘆きます。大学生は大人なひとたちですね。やられた。

やはり物腰は人柄ですよ。多分に偏見ですが、それが僕なりの「ひとを見る目」です(自身を貶める諸刃の剃刀ですが)。「多分」で思い出したのですが、「おおいたけん」を漢字で書けますか? あと、いま「諸刃の剃刀」という言葉が気に入りました!

「ぱにぽにだっしゅ!」第24話ですが、

とってもおもしろかったでっす。

僕からみて、「ぱにぽにだっしゅ!」は新鮮です。
別な視点からは懐かしいと映るのでしょうか。
こうやってすてきな文化は緩やかに漂いましょう。

「ぱにぽにだっしゅ!」を取り巻く魅力は
スタッフの趣味と遊び心によるのでしょう、
と思っていましたが、キャストのお人柄にも。
そして原作者の氷川先生にも。ちんちんかもかも。

斎藤千和が神谷浩史を「にいさま」と呼ぶのは何事ぞ、
と思い調べると、「月詠 -MOON PHASE-」でしたか。
なにげに「わたしのしもべー」というネタをかます(※)
(「ぱにらじだっしゅ!」第13回)千和先生がすてき。

ところで、「宇宙のステルヴィア」も観ています。
そのキャラをそのキャラとして捉える、という感覚は、
僕にとっては新鮮です。たとえば、いままでは
「藍ぽんとしてのしーぽん」でありました存在が、
いまやどうしようもなく「しーぽん」そのものなのです。

したがって、これまでの藍ぽんに対する僕の態度は、
失礼であるといわざるをえません。余計なお世話でした。

これは、むしろ「なかのひと」と絡めて楽しんでいる
「ぱにぽにだっしゅ!」とは対照的でおもしろいです。
いろいろなおもしろがり方を拓きつつあります。そろそろ
「映画」にも手を出すべきでしょうか、教養人として。
え。

いま「雪の宿」というお菓子を食べているのですが、
お名前がおとめるへんちっくでくらくらします。

解答

※どうやら僕はとんでもない勘違いをしていたようだ。ご本人様ではあるまいか! 

解答:「ネコミミモードでーす」

ちなみに、「ぱにぽにだっしゅ!」に興味をもったきっかけは愉快な神父さん(note:08/22)による紹介です。ゆつきさんもお勧めしていた気がします。彼は男声版ネコミミモードに悩殺されたつわものですから、その評価は確かなものです(謎)。

『月詠 MOON PHASE』 OPテーマ 「 Neko Mimi Mode 」: 音楽
CD『Neko Mimi Mode』

月詠 (1)Gum comics: 本
コミック『月詠』(1)

月詠 ~MOON PHASE~ PHASE 1 (初回限定版): DVD
DVD『月詠 -MOON PHASE-』(1)
(初回限定版)
/ (通常版)


ごきげんようね。

2006年03月19日(日)

[感情][交流][価値]

倒錯

きみが僕を嫌いになる自由を、

僕はきみに死んででも保障する。

僕がきみを好きになる自由を、

きみは僕に死んででも保障しろ。

世界観のための前提のための前提

まず、幻想と幻想的についての説明を、省略する。(ここで読み手の八割以上が蹴落とされた)

幻想的であるという前提は、価値の確認にもつながるが、平坦への気だるさをも生みかねない。(この説明で残りのうちの五割が蹴落とされよう)

本音、僕はその気だるさを感じる。自身とその傾向をゆとり教育世代という枠で括るのは、良識ある同世代のひとたちに失礼だろうけれど、いかにも現代風な冷めた観方ではある。(実は話題を転換するフェイント)

人間関係は重大である/しかし軽視する。こんな抽象的暴力が、しかし! まかり通ってしまう主観に対する気だるさ、ともいえる。

争いに、敵と味方は、必須でない。そういうことを、某ライトノベル作品を読んで考えた。これも、その種の気だるさに近い。

敵と味方は流動する。ただおもしろい争いのために。もはや手のつけられない扇情の舞台、なのに! なんだなんだこのどうでもよさは。勝ちもなければ価値もない。つくられた戦場の舞台。祭の後は、後の祭。

解答

割愛。

2006年03月20日(月)

[鬱][哲学][感情][交流][女の子][虚構]

ちかごろの鬱具合を言葉にしてみると、「楽しみへの懐疑」「観念に溺れる」というふうです。楽しみに対する価値観は「リーナスの法則」から受けました。いまや気だるく感じます。どれほどのもんよ、と思うのです。

だから、

きみは、

僕と同じように楽しんでくれよ。僕は感情のイクスポーズが下手だから、いわば、代わりに、楽しんでいる姿を、僕に、みせつけてくれよ。それで僕は救われる。この楽しみの価値は、やっぱりだ。かけがえない。

『イリヤの空、UFOの夏』を読んでまもなく、ぜひ友人Tに薦めたいと思った。彼ともお別れだ。浅羽の射精のとこ、どうやった? あれはやばいよなあ。うへへへへ。

さて、「観念に溺れる」ことも、根本は似ている。「僕だけではどうしようもない」。

だから、

きみは。

ところで、巨大な樹木にひざまづくさまは「畏敬」と称するのがふさわしい。ならば、よく聞く「死ぬまでには絶対に読みきれない」ような図書館に対しては、どうだろう。(ところで)実は「ならば」というのは嘘です。発想の展開と説明の展開は、それぞれに別な流れがあります。学ぶひとよ、心得ておいてほしい。あなたは説明に接して学ぶしかない。そして得られる価値は、まるで別な姿をしているかもしれない。それでいい。信じれば、いい。

友達ほしいなあ。女の子がいいなあ。だって、女の子だし。男と女は別のものであると同時に、別なものであるから。

悲劇の本質はカタルシス(浄化)にあるという。アリストテレス。少し想像で考えてみよう。ええと、『詩学』でしたっけ、は読んだことありませんし、アリストテレス、カタルシス、についても知識していません。あくまで想像です。(コメントアウト)ええい、面倒くさい!

好きとか嫌いとか、嬉しいとか悲しいとか、どっちでもいいんじゃねえか? 強い感情が、価値なんだよ。と思うわけです。そのモチーフは虚構でも現実でもいい、という気だるを感じているわけです(「モチーフ」の用法が誤っていますが、わかりますか。モチーフとは本来「作品←現実」ですが、ここでは「『現実←作品』という現実あるいは作品」なのです。わかりません(笑) 罠です。ちなみに「作品←作品」もありますが、そんなもん異次元世界です。ぶっちゃけ、わけがわからず書いています。墓穴を掘りました。どすん)。現代は死ななくなった。だからまたはなぜなら、豊かになった、のであるまたはのだから(等位接続)。

散裏も甚だしい(ちらうら:「鳩豆な顔」という言葉にインスパイヤされて発想)。

ったく、ちっちゃいことは良いことだ。

池袋のジュンク堂に行きたい!

解答

きのうに同じ。(恥ずかしい)

2006年03月21日(火)

[詩][表現][形式]

愛のゲシュタルト爆撃

やっぱ愛だよ。

愛は
うつくしい。
愛は
すばらしい。

愛は、

愛は、愛であり、そして愛にして、また愛たり、同時に愛なり。

愛。愛。愛。

愛。

愛。

愛。

作戦完了

2006年03月27日(月)

[物語][生死][極限][声]

日航機墜落Flash小生にうずKU。)
日本航空123便墜落事故[Wikipedia]
ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶[ITmedia]

2006年03月28日(火)

[表現][HTML]

死線


これは死線。

超えると死ぬ。

触れても死ぬ。